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生まれる前と生まれてからのお話

少し前のことですが、生まれる前の記憶があったり、お腹の中の記憶がある子供達のインタビューを中心とする映画をみました。

「かみさまとのやくそく」というドキュメンタリー映画です。

生まれる前の記憶について考えたこともなかった私には驚くことがいっぱいの内容でしたが、とっても暖かい、生きているどんな時も大切にしたくなる映画でした。


映画の中で、子供たちが話していた事をざっくりですが残しておきたいと思います。


・生まれる前はみんな手も足もない光の粒。宇宙のようなところにいて、そこで兄弟になろうとか相談したりする。

・鏡のようなものに一人一人おかあさんが映っていて、それをみてどのお母さんにするか選ぶ。優しそうとか、可愛いからとかそんな理由で選んだりする。

・神様や天使がいて神様のOKが出たら滑り台を滑るようにお母さんのところにいける。

・お母さんのところに行ってもすぐ戻ってきてしまう子(流産など)もいるけど、そういう子を優先してまた同じお母さんに行かせてあげたりする。

・お腹の中は赤い丸がたくさん。
外は透けて見える。音も聞こえる。
お腹にいる時にお父さんがたくさん話しかければ、生まれてから抱っこされてもきっと泣かないと思う。聞いたことがある声だから。

・生まれてから、お母さんも大変だけど、赤ちゃんも言いたいことが伝えられなくて大変。
赤ちゃんはお母さんを成長させている。
お母さんも赤ちゃんにお世話されている。


私が印象的だったのは、生まれてすぐの赤ちゃんがすぐ戻ってきてしまってもまた優先して行かせてあげたりする、というところ。

個人的な話ですが、母によると私の前に生まれた赤ちゃん(兄)は生まれてすぐに天国に行っています。

でも、もし天国で優先してもらってまた生まれてきていたとしたら、それって私の魂は兄ってこと?なぬー!!笑


確かに私は母を悲しませてはいけないという使命がずっと頭の片隅にこびりついている子どもでした。

さすがに全然面倒をかけなかったわけではないと思いますが、記憶の中で泣きたいところを我慢することは多かったし、欲しいものを買ってとひっくり返るようなことはなかったと思います。

それは、私がお腹にいる時から、そして生まれてからも母達の不安を感じていたからなのではないかと薄々考えてはいました。


でも、もし優先説があるのだとしたら、母は救われる部分があるのではないかと思いました。自分のせいではないかと責める気持ちがあるのだとしたら、きっとそれはちがうのだと思うのです。

映画を観て、生まれてくる子はたとえ少しでも地上に降りてこられたことを喜んでいて、また戻ることは悲しいわけでもないように感じたからです。

何のために生まれてきたの?と質問すると、子どもたちは当然のように、人の役に立つために生まれてきたよ、と言います。

そして、試練を乗り越えるために生まれてきたのだ、と。


分からないけどわかる気がする。いい事に限らずよくないと思える事にも全ての事には意味があるということ。悲観して、悲しむだけではなく、そこから学び成長することが生きていくことなのかもしれないですね。

まだまだ色んな経験を積んで、成長していく自分の姿を楽しい気持ちで俯瞰して眺めるような大人でありたいなと思います。


機会があればぜひご覧になってみてください。

今日も読んでいただいてありがとうございました。





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