20050425

 福知山線脱線事故から16年が経ちました。当時私の父はJRに勤めており、その影響で電車が好きでした。事故車両であった207系が乗り入れる沿線に住んでいたので、翌日のひしゃげた車両を捉えた写真が大きく乗った新聞の1面を沈痛な面持ちで見る父親の顔は今でも思い出せます。

 JRに勤める者として毎年慰霊に訪れる父と共に、何度か尼崎の事故現場となったマンションを訪れたことがあります。1両目が突っ込んだ地下駐車場は所々鉄筋が剥き出しになっており、事故車両が大幅な速度超過を起こしていたことが把握できるようになっています。事故現場をどのように保存するかはご遺族のなかでも、「事故を思い出せるようにオープンにすべきだ」という意見と、「事故を思い出したくないから現場を見たくない」という意見があったようですが、現在は「祈りの杜」という慰霊施設となっています。

 この事故では運転士含め107名の人間が亡くなりました。事故責任を問いJR西日本の歴代3社長を相手に裁判がありましたが、3人とも無罪となり誰も法で裁かれることはありませんでした。この結果に思うところがあるような人もいらっしゃると思います。しかしながら、この事故は個人の責任で起きた事故というよりもJR西日本という会社全体の社風が引き起こした事故であると、社員を身内に持つ私は感じています。また107名の他にもこの事故で救護に尽力され、多くの命を救った医師の方も事故後に講演会が急増し激務のなか自殺しました。また事故で助かった人の中にも数年後自殺された方がいらっしゃいます。事故後の医療現場従事者や生存した被害者へのケアは適切であったかももっと議論されるべきです。

 またマスコミの報道の在り方についても議論がありました。この話については先日読んだ事故車両の1両目で被害にあった吉田恭一さんの手記に詳しくしたためてあったので以下にて紹介させていただきます。

http://www.kysd.net/fuku42501a.html

 福知山線脱線事故は鉄道会社の行き過ぎた時間管理、競争が招いた事故です。その背景には、生産性の向上を追求しすぎた資本主義の課題が見えます。当時のJRはダイヤを守ることに厳しく、現場との情報共有、伝達が不十分でした。あれから16年、JRは未だに封建的な気風のある会社だと私は感じています。一般の方よりも私は事故に近い家庭で私は育ちました。この事故を風化させず、同じ過ちを繰り返さないように尽力していきたいと考えています。特に事故後の現場従事者、被害者やその遺族に対してのセーフティネットの構築について勉強しようと思います。

明日のご飯が美味しくなります