見出し画像

最後まで光るもの

私にしては珍しく眠たいのに、文字をひねり出したい気持ちになって日曜のこんな時間にnoteを書いている。ねむいよォ
書きたいことも特にあるようでないような鈍い衝動で書いてしまうよ。

※※長いし内容意味わからん※※

今日はいろんなことがあって、でも特に何もなくて、楽しかったけど少し虚しくて
何かを得ながら失うような、とくに記憶には残らないような特別で普通の一日だった。

今月も安定して金がない

今月もお金がない。なのにとても高い焼肉を食べに行った。
高級言うてもこれくらいかな?と予想してた倍の金額のコースメニューを見るなり一瞬で脳内で白旗、もう苦痛はない。ペイペイでお願いします。
これはもう経験だ、経験を買っているんだと思いながら柔らかすぎて存在を疑う肉類を食べた(歯ごたえのなさにもはや飲んだ)。
どのお肉も美味しかったし、なにより楽しかった。
Twitterで知り合った気の合う友達といろんなこと話しながら肉食べてマイナスなものなど何もありません。

これって見栄なのかな

その友達二人はとても生きる能力のある人たちで
ハイブランドのアイテムをたくさん身に着けていて、
でもいやらしくないし資産的価値も含めて購入してるみたい。
どのブランドは縫製や素材がいいけど重たいとか、いつから値上げするとか
いろんなことを知ってる。
私はハイブランド一個も持ってないどころか、ハイブランドの線引きもよくわからなくて、買おう欲しいと思ったことすらない。
金があったとて、買ってないんじゃないかな…金があったことがないからわからないけど、それくらい遠い分野の話。
でも彼女たちは努力してそれらを手にできる自分になっていった人たちだし、シンプルにすごいし尊敬する。並大抵の努力では辿り着けない働き方をしている。

かたや私はお気楽な派遣社員。猫と私が食っていければそれでいい。
安いものを安く買い、ピーヒャラ暮らしている。将来への不安を抱くほどの知識すら持っていない幸福な馬鹿だ。
でも派遣社員だよ~って言えてない。高い焼肉誘われてもたけえ~!けどこの子たちが食べたいなら行こ~!美味しいだろうし!って行っちゃう。
これって見栄なのかな。
私は一人ならいつだって脳内で草原を駆け回り、教えてアルムのもみの木よと言う感じで人生を謳歌できるのに
社会を見渡すと私はいつでも同年代より10年程の時差があり、幼く不安定でハチャメチャだ。
そのギャップに何回も自分でドン引きしてきた。もうドン引きするのも飽き飽きしている。こんな大人がいたっていいだろうが、とまで思い始めているんだからもうお手上げです。

最後まで光るもの

今日の記事はとっちらかってるけど、このささやかな劣等感の後に私はいつもこう思う。
社会的価値の低い私が私を生きるには自分の価値を自分で見極め続けなければいけない、ということ。
正直、私はいろんな才能がちょっとづつある。
それをお金に換える能力は全くないけど、そのセンスや感覚は受け取る人によって変わるし、安易にジャッジできるものではない。
私の能力はお金で誰かに譲ったりはできない私の一部だから私の価値は私が決めるよ。


絵を描くことについてまた改めて書きたいな。
長くなっちゃうし、エモくなっちゃうだろうな。
私はこれからもハイブランドを手にしない、できない人生を過ごすと思う。
でもそれが私の人生だし、ぽいな~って思う。
ていうか私の人生において私以上のハイブランドないよねって
そんな気持ちだよ。テヘ

テヘ

(30代・女性・都内在住)

肌寒くて夏がしぼんでいくのを感じるからなんだかちょっと弱気だね。
文章もいつにもましてまとまりがない。
どこまで行っても何者にもなれない自分を楽しみ、愛したいです。
おセンチでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?