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「大丈夫」をやめたい話

「はい、大丈夫です」

小さい頃からやめられない、癖。

事の始まりは幼稚園の時。
「地域のイベントに出てくれないか」(詳しく書いたら身バレしそう)という話からはじまった。


確か家庭訪問があった日。先生から電話があった

「別にいいよ」

なんでそんなこと言ってしまったのだろう。
園の送迎バスの時間の関係とかいろいろあって私に頼めないかって。
うちは兄弟もみんな同じ園で、信頼されている家庭で先生も安心だからって。

「大丈夫」

その日から私は
断れない子になった。




一体何が大丈夫なのだろうか。
大丈夫だって自信を持って言えることなんて何一つないのに。

ほんとはその日友達と遊びたかったんたけどね。

「大人の期待を裏切りたくない」
「こうすれば大人は喜ぶでしょ?」
というクソガキがこの世に爆誕したわけです。

難しそうなことでも「自分がなんとかして頑張ればいっか」と変な諦め方をしてしまっている。

ギャルのマインドがほしい。切実に。
「え〜、無理っしょ。」って言いたいもん。


意外と適当だよね。って言われる事がある。
そりゃそうだ。適当だもん。

作ったラーメンは鍋から直接食べるし、提出物さは〆切ぎりぎりまで着手しない。
7月中に夏休みの宿題を終わらせていた私は中学生で死んだ。

何かが燃え尽きた。

ただその時のプライドだけは残っているから、


「大丈夫だと思います」「なんとかします」
「やっておきますね」


微塵も思っていないことが口からどんどん呪詛のように流れ出ていく。

「誰もやりたがらないことを率先してやる」

「とりあえずやってみる」

それだけが私の存在意義だと思っていたから。



ただ最近は、
ちょっと大人になったのか、失うものがそんなに無くなったからなのか、

開き直って
多少の図々しさと、失礼さと空気の読めなさ、
あと性格の悪さをチラ見せできるようになった。

これが結構良くて。
「誰からも良く思われる」より
「良いと思ってくれる」人と付き合っていく方がやっぱり過ごしやすい。

無理にみんな仲良くしない方が互いのため。

合わないなと感じたら一定の距離を保つ。
本当にこれに尽きる。



「無理です」

には

「(死ぬほど頑張れば出来ないこともないですが大抵の人はこんな事を他人に頼みませんし私も普通にやりたくないです。あなたは知らないようなので私が丁寧に教えて差し上げますね)無理です」

くらいのマインドでいくと
断るのに罪悪感もエネルギーも消費しないのでおすすめ。

あとから
「出来ませんでした」って迷惑をかけるよりは余程建設的。

可愛げは無いかもしれないけれど、誰も私にそんなもの求めていないだろう。

でも、仕事もプライベートも常識的な受け答えはするし、周囲と普通に談笑するし、飲みや遊びにだって行く。

ただ「無理してまで」はしないだけ。

変に気を遣いすぎない、それだけ。


ギャルとはちょっと違うかもだけど。
私なりに辛くない生き方を模索する、だけ。

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