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母の膵臓がん闘病記録8 緩和ケアの病院が見つかった

母が7年前の2017年に膵臓がんと診断され
この世を去りました。
その時の闘病記録です。

2017年4月13日の記録です

今日は次男と母のお見舞いへ。
次男は、病院へ行くのがいやとか言って
なかなかお見舞いにいかなかった

病状が悪化していることを伝えて
後悔しないためにも
会っておいた方がいいと思い
連れて行った

母にとっては自慢の孫なので
「いつもかっこいいね〜」って言ってた
今日の母は、昨日とは違って、
痛みも抑えられているようだった

久しぶりに次男にあったのも良かったのかもしれないな


今の入院している病院では
治療をしない緩和ケアとなると
いつまでもここにいるわけにはいかないということ

医療ソーシャルワーカーの方が
新しい病院を探してくれました。

奈良で緩和ケア病棟があるのは2つだけ。
そのうちの一つ
西奈良中央病院への面談の日が決まった

緩和ケア病棟に入院するには、
まずは家族の面談が必要なんだとか。

緩和ケア病棟ということもあって
病状の重い方から入院できるというシステム

どういう結果になるかわからないけど
残された時間
穏やかに過ごせるところが見つかるといいな

母も次のところが決まりそうということで
少し気持ちが楽になったようだ



母が病気になって
息子たちがいて助かった

私の中では
長男と次男の役割分担があり

長男は、冷静な判断をしてくれるので
相談があるときには頼もしい
医学的な知識があるから

主治医の話を私が聞いても、
難しいことは理解わからない

そんなときには、
主治医に聞いた話を、長男に話すと
わかりやすく説明してくれた

次男には
今の状況とか、
何かと手伝ってもらうには
とっても助かる存在
家にいてくれるだけで心が休まる

話を聞いてくれるとありがたい

そういうことを考えると
これもタイミングなのかな

長男も次男も
一時は家から離れていたけど

長男は、地元に戻ってきて
結婚してちかくに住んでてくれるし

次男も、家にいて、
仕事も手伝ってくれる

自分のことならともかく
母のことになると
相談したり、話を聞いてくれる存在がいるというのは
それだけで感謝です

一人で決断していくには心の負担が大きすぎる
抱えられない

決断するって本当に難しい

決断したことによって
悪い結果になると
あの決断は正しかったのか?と思ってしまう

奈良に呼び寄せて良かったのか?
抗がん剤を進めて良かったのか?

そして、過去のことも後悔することもある

膵臓がんが発覚する前の年の夏
胃が痛いって言ってた
もっと親身になって話を聞いて
病院に付き添った方が良かったんじゃないか

とか。

過去のことを考えても仕方がないのは分かってるけど
それでも
どうしても考えてしまう



以前テレビ番組で、
ある方はお母様を施設に預けたことを、
本当にそれで良かったのかとおっしゃてて

もうお一方は
家でみてたけど、
それを母は望んでいたことなのか?
と・・・

何を選んだとしても、
きっともう一つの方法が
良かったのかもしれないと思ってしまうのかもしれないな

これは仕方ないこと

自分のことなら、
自分の責任で
決断したことは
それで良かったと思えるんだけどね

特に家族のことになると
いろいろ考えてしまう

それに本当の母の気持ちを汲み取れているかも
わからないから

難しいね


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