努力は報われない
なんという夢も希望もないタイトルでしょう。だけどこれは最近特に、私が強く思うことです。
「そもそも、報われるまでやるから努力というのでは?」
そう仰る方もいるでしょう。まさにその通りです。私もそう思います。
ただ、難しいですよね。報われるまで努力を続けることって。
そもそも、私は『努力』があまり好きではありません。‟頑張らなくはいけいない環境”に身を置くことを、窮屈に感じるからです。
恐らくこれは昔から、私が他人より苦手とするものが多かったことが、原因の一つだと思います。
たとえば、小中学校の科目である体育・美術・図工・音楽。
これはもう、努力うんぬんよりセンスの問題では?と、大人になった今はそう感じています。だけど義務教育時代、これらの科目に‟評価”をつけられてしまう。
体育でいうと、水泳、跳び箱、鉄棒、マット運動、徒競走、マラソン……。
私は泳げないし、跳び箱は3段も跳べません。人生で逆上がりができた瞬間もなければ、マット運動は前転がかろうじてできる程度。後転ができた先の景色なんて見たことがないです。足も普通に遅いですし、体力もないため小学生時代、学年のマラソンでビリになったこともあります(逆にすごいわ)。世の中がバイオハザード状態になったら、恐らく一番最初に喰われるのはこの私でしょう。
だから5段階評価で、体育は3以上をとったことはないと思います。美術も真面目に授業に出て、真面目に画いているのに、5段階評価で常に2でした。ひどい。
だけどこれらの競技すべて、練習をしなくてもそつなくこなせる子っているじゃないですか。
なんていう理不尽な世の中なんだ!
人生は不平等だ!
そう思っていました、昔から。大した努力もせずに。
だけど世の中には、苦手なことや不得意なことも努力でカバーして、成功を掴んでいる人も大勢います。本当にすごい。
私は苦手なことに対して、努力ができない人間でした。「どうせできないし」の一言で、割となんでも諦めてきたと思います。
それでも、自分の好きなこと、やりたいことに対してだけは違ったんです。
私は今、副業でシナリオライターの仕事をしています。そしてその先に、寝る時間を削ってでも、やりたいこと、成し遂げたいことがあるんです。もちろん、私より努力をしている人間はたくさんいますし、私の努力なんて努力と呼べないレベルかもしれません。
それでも今は、自分なりに努力はしているつもりです。ただそのなかで、「頑張ればいつか報われる!」と思って作業に打ち込んだことは、1度もありません。どちらかというと、「報われない確率の方が高い」。そう思っています。
これは単純に、私がネガティブだからという訳ではなく、意識的にそう思うようにしているからです。だってその方が、努力を継続できるから。
私が今、一番大切にしていることは『継続』です。スキルアップや報酬のことも、もちろん考えてはいます。だけど何よりもまず、継続。
継続をするために、どうすればいいか。それに対する自分なりの答えが、『努力に期待をしない』ということでした。
努力に期待をしなければ、過信もしません。コンテストに落ちても酷く落ち込むこともないんです。
クライアントに褒められても、思うような文章が書けなくても、良いことがあろうと悪いことが起ころうと、ある程度一定の感情で作業を進めることができます。酷く落ち込んで書けない……なんてことは、この1年ありませんでした。
『自分に期待をしない』というよりは、『自分のやっていることに、期待をしない』。
もちろん、夢を叶えたいという願望はありますし、すべてはそのためにやっています。だけど「努力をし続ければ、必ず報われるだろう」という固定概念は捨てました。
たとえ報われなくても、やる。やり続ける。
一見、捻くれた考えにも見えますが、しばらくはこのスタンスを貫いていこうと思います。
「今までやってきたことが報われました」と、今とは真逆なことを言っている自分とこの先出会えるか。それこそ、今の自分次第だと思って、私はこの先も日々の継続を続けていこうと思います。
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