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【小説】ポエジィ~poesy 第一話

 

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 今年はやたらに早く桜前線がやってきた。例年より十数日早いと告げるニュースキャスターを眺めながら、松井さんは苦虫を噛み潰している。
「ねえ、安東さん。どうにかなりませんかねえ、これじゃあロードレース大会開催までに、葉桜になってしまいますよ」
「そうですねえ、私もせっかく制作したポスターの魅力が半減するようで、辛いです」
 私は、同大会事務局に関わるものとして、松井さんの意見に同意した。桜並木の魅力満載のポスターに惹かれて参加を決めた人たちを、がっかりさせたいとは思わない。いてくれたなら、の話だが。

 こんなふうに松井さんと一緒に仕事をするなんて、学生の頃は想像もしていなかった。
 芸術大学の学生だった私は、就職課のアルバイト斡旋用掲示板に貼られたコンペ公募のチラシを見て、桜堀川町おこし実行委員会の存在を知った。
 その時は、蛍だった。いかにも経費を削るために地味に作りましたといわんばかりの告知チラシには、“蛍を見ながら大地を走ろう”という、今一つイベント内容のイメージが湧かないタイトルが記載されていた。
「蛍を見ながら走るって、つまり、夜走るってことじゃね? ありえねーし」
 中学校以来の腐れ縁で友人付き合いしている徹は、男友達と共にけらけらと笑って去っていった。しかし私はその場に残り、ねっしんにチラシを見つめた。内心ときめいていた。
 桜堀川町には行ったことがある。それこそ蛍を見に、だ。高校を卒業すると友人たちが次々と自動車免許を取り始め、遠出する機会も増えていった頃だった。桜堀川町は初心者がドライブがてらに蛍を見に行くにはうってつけの場所だった。
 目を閉じれば藍染色に暮れた川べりに、蛍がひとつふたつと点滅を始めて、やがて白光色の点滅灯をまとった並木になる様が蘇ってくる。あの川べりを走るイベントか。楽しそうではないか。美里のなかに、むくむくと絵心が湧いてきた。
 それから数日間は、スケッチブックに大量のラフデザインを描いて過ごした。そのなかから一つ選んでイラストボードで作成しようとしたが、就職課の職員に止められた。
「安東さん、まずは応募規定を守りなさい。指定された企画書を送ることと書いてあったじゃないか。作品制作は企画が選ばれてからだ」
だが若気の至りというべきか、頭が浮かれていて話が右から左に貫通してしまったというべきか、こっそりA1サイズの作品を仕上げた挙句、完成品を持って事務局に乗り込んでしまった。
 驚いたのは事務局である。
 受付カウンターでA1のイラストボードを掲げる美里を見て、何人かの職員が笑顔で応対してくれた。だが一人だけしかめ面をした人がいた。それが当時、会計を担当していた松井さんだった。
「あのね、学生さん、まずは企画書で応募してもらわないとね。こんなに大きな、展覧会に出すような絵は要らないんですよ。二色刷りに対応できるようなグラフィックっぽいのじゃないと」
 松井さんは、黒い腕カバーをはめたカニのような腕で、ちょっと広めの額に浮かんだ汗を拭きつつ説明してくれた。その言葉は、笑顔で対応してくれた職員たちの気持ちも代弁している、と私はようやく悟った。改めて事務職員の表情を見ると、笑顔が引きつっているのがわかった。もちろん絵は引っ込めたが、その前に、松井さんとひと悶着あった。これがまったくの若気の至りなのだが、「お役所仕事」という常套句を振り回し、せっかく描いた名作を、若者の情熱を、企画書優先のお役所仕事で頭ごなしに否定するなんてヒドイ、だから役所はダメなのだ、未来に投資しようという意欲がない、と矢継ぎ早に松井さんを責めたのだ。
 今思うと、自己中としか言いようがない。
 だが松井さんは腕組みをしたまま、うんうん、とうなずいてくれていた。
 そして私が落ち着くと、
「その情熱、嫌いじゃないよ、大切にしなさいね」
 と笑顔で肩を叩いてくれた。
 負けた、と思った。そして絵を引っ込めた。
 大声を出したせいか、顔が上気していた。怒鳴っているうちに、自分が恥ずかしくなって赤面したのだとも思った。

 そんな猪突猛進なところの悪い面が災いしてか、就職活動はことごとく失敗し、卒業しても就職先が見つからなかった。
 一方、徹は、そこそこ大きなデザイン事務所に就職し、ときどき
「今からお前をからかいに行く」
 などと言いながら、画材屋でアルバイトをして食いつないでいる私の様子を見に来た。時には作品を見てこき下ろしもしたが、仕事の苦労話も聞かせてくれた。そのうち、
「忙しいから手伝え」
 と言って、何度か仕事を回すようになった。やがて
「これで仕事の実績が出来ただろ、ポートフォリオを作って売り込みに行け。出来なきゃクラウドソーシングで仕事依頼しているところにデザイナー登録をして、安い単価でも必死に仕事をしろ」
 と言い残して、美里の前に現れなくなった。

 徹が現れなくなってから1年近くが過ぎ、私もなんとかクラウドソーシングのフリーランスデザイナーとして食べていけるようになった。
 しかしオフライン上そろそろ、オフラインでの仕事も受注したいと思っていた矢先、スマートフォンに一本の電話がかかってきた。
「こんにちは。安東美里さん。覚えていますか。桜堀川町おこし実行委員会の松井です」
 聞き覚えがある声に、思わずスマホを取り落としそうになった。
「あ、はい、覚えています。お久しぶりです」
「あの、今回、桜堀川町がまたロードレース大会をするんですが、その、私が責任者になりまして……」
「はあ、それはおめでとうございます」
 言ってしまって、間抜けな返答の仕方だったかと後悔した。だが松井さんは気にしていないようで、そのまま言葉を継いだ。
「あの、それで、そのポスターの制作を、安東さんにお願いしたいと思いまして」
「……え?」
「フリーランスでデザイナーをされているのだそうですね。それで、あの、予算というものがありますから、企画書は見せていただきますが、出来る限り、自由に作っていただけるように致します」
 松井さんの声がだんだんと小さくなっていく。
 私は慌てて返答した。
「もちろんです、名指しでお仕事をいただけるなんて、光栄です」
「受けていただけますか? ありがとうございます。では、一度、お会いして打ち合わせをさせていただきたいので、当局までご足労願いたいのですが……」
「はい、もちろんです。伺います!」
 具体的な訪問日時などを取り決め通話を切った瞬間、思わずガッツポーズをした。
「やったー! これで私も堂々とデザイナーだって言えるよ!」
 誰かに報告しようとして、ふと徹の顔が浮かんだが、頭を何度も横に振って、記憶から消してしまった。
(つづく)


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