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「どうする家康」第42話感想【真田語り多め】

もうすぐ、親不知抜歯手術で入院する、ありです。
(下の親不知2本が横に寝ているので、全身麻酔でないと抜けないのです…ついでに、残っている左上の親不知(こちらは縦に深く潜っている)も抜歯)
全麻手術は3回目ですが(過去2回は、11年前の婦人科腫瘍(開腹)、8年前の椎間板ヘルニア)、ちゃんと戻ってこられるか…
いや、ちゃんと戻らないと、仕事の予定が埋まりつつあるよ私(;´A`)

さて、「どうする家康」第42話は、関ケ原前哨の調略合戦と、第二次上田合戦前後、伏見城の戦いが描かれた回でしたね。

いや、これは本当に…
関ヶ原の戦いがあった9月15日は、家康嫡男であった信康の命日でもあるから、「間に合わなかった」秀忠のこと含めて、いろいろと感慨深い夜明けになるんだろうな。
まさか、沼田城入城拒否事件もちゃんとやるとは。

まぁ、関ケ原後の真田親子助命嘆願は、本多忠勝のみならず、井伊直政や(第二次上田合戦当事者の)榊原康政も関わっているから、やらずにはおられなかったのでしょうが。
いろいろな部分は、「真田丸」映像で補完しましたとも、ええ…

ちなみに、「犬伏の別れ」で、結果的に真田親子兄弟が穏便に別れを選べたのには、劇中でも出てきた「沼田問題」の結果にもあります。

後北条の事実上滅亡後、沼田は真田のものとなり(ついでに、徳川の与力からも外れて「独立した豊臣政権の大名」に)、沼田には真田ヤング兄弟の兄・信幸が入って所謂「沼田真田」となり、父・昌幸の所謂「上田真田」とは独立した扱いになり、家臣も分割されていたのです。
なので、あそこで別れを選んでも、真田のそれぞれの家自体には大きなダメージにはならなかったのかと。
(家臣団の分裂話になってたら、もっと騒ぎになっていた)

それでも、真田家中に諍いがなかった(ように見える)のは、「真田だから」としか言いようがなく。

「乱世を泳ぐのは、実に楽しい」と言っている昌幸ですが、それは勝ち局面にいる時だからなのであって、いざ負け戦の片棒を担いだとなったとき、彼は家康の前でどうなるのか…
(これ、お市さま初登場の時にも書いた覚えがあるぞ)

真田に限らず、あの局面でお家の分裂を選んだ家は多かったでしょうが、真田がクローズアップされるのは「片方は家康の頼りになる大名として残り」「もう片方は家康により死よりも苦しい仕打ち(配流)を受け」「さらに、家康の仕打ちで居場所のなくなった者達の旗印になった息子が活躍」という美味しいセットが、真田家ひとつで摂取できるからなんだろうな。
真田家でしか摂れない、慕わしい栄養がある…!。゚(゚´Д`゚)゚。

…いかんいかん、真田のことばかり書いてしまった。

家康は、武田信玄との教訓に倣って「戦は、まず勝ってから始める」ために、調略合戦を繰り広げたのでしょうが、まさか秀忠率いる「徳川本隊」の大軍が足止めを食らうとは想定外だったろうなぁ。
黒田や福島の勝ち戦で、戦力的にも士気的にも何とか踏みとどまれたのでしょうが、そうでなかったら、黒田や福島が寧々さまから「豊臣政権下での諍いはお止めなさい」と言われて、徳川から引き上げたら…
うわぁ、関ケ原は本当に紙一重だったのか(゚Д゚ ||)

ここからは、雑感をいくつか。
徳川の調略合戦会場は、江戸城の居間(?)がメインでしたが、家康の後ろの幕に変化が。

家紋を細かい意匠に出来る位の地位になったのだなぁ…としみじみ。
そして、「運命の男」・小早川秀秋登場で…

「最初から東軍説」もとれるような動きでしたが、実際に動いたタイミングが悪かった&その後に跡継ぎを残せなかったのが痛かったのかも。

伏見城防衛戦、千代が「間者」ではなく「武家の妻」として最期を迎えるなんて、キャスト発表の時には想像もしませんでした(ノД`)・゜・。

そして、茶々さまは安定の恐ろしさでした…(褒め言葉)

いよいよ次回、大河ドラマでは久々にちゃんと描かれる「関ヶ原の戦い」ですね。
いろいろと心が落ち着きませんが、心して見届けます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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