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「鎌倉殿の13人」41回感想【しんどさのリフレイン】

11/3に、愛知県一宮市で、小栗旬さんと坂口健太郎さんの「鎌倉殿の13人」トークショーが開催されましたね!(倍率71倍!!)

レポを読む限り、ドラマの展開は殺伐としていても、演者の皆さんは和気あいあいとした雰囲気なようで、そこはホッとしました。
最終回の12/18には、鎌倉でトークショーですが…一体何倍になるんだ:;(∩´﹏`∩);:

…本題に入ります。
ここに至って、「頼朝ヘイト」時代のしんどさをまた感じることになって、非常にしんどいです…。

大河ドラマも終盤にさしかかると、これまでの展開がリフレインされることが多くて、それには慣れていますが、ヘイトされていた頃の感情までリフレインしなくていいよ(>_<)

さて、「鎌倉殿の13人」第41回は、和田合戦・完結編でしたね。
和田義盛の「弁慶の立ち往生」みたいな最期も、それによって鎌倉を信じられなくなって、(劇中設定では、今回の件の黒幕である)朝廷へ心が傾いてゆく源実朝にもゾッとしたのですが、私はそれ以上に、劇中人物のみならず視聴者からも理解してもらえない、所謂「北条義時ヘイト」の嵐がしんどいです…。

既に多くの人が指摘しておりますが、義時にも三浦義村(平六)にも、ギリギリの段階まで和田義盛を「始末して」も「殺さない」選択肢もあったはず。
鎌倉を灰にし、尼御台たちを危険にさらし、鎌倉殿に弓向けた責任はとってもらわなければいけないけれど、だからといって全くの無罪放免にしては、所謂「無数の和田義盛」が増長しかねないし、逆に彼らが急に心変わりして実朝に弓を向ける未来もありえる。
「罪はない」とはいえ、何らかの形の罰は受けなければならなかったのです。

「最初から和田を殺す気満々」はあくまで結果論で、「始末する」はあくまで「鎌倉追放」で(北条時政のように)、実朝の心を決定的に硬化させてしまうことにもなりかねない(実際なった)「殺す」という選択肢は、いくつかあった最善の選択肢の中でも最も悪いもの。
で、そこに至るまでに「和田殿にはしっかり釘を刺すべきです」と義時がアドバイスしなかったのは、実朝を試したのもありますが、あの場においては「実朝自身が思ったことを、実朝の言葉で言う」ことがなければ、「ウリンは小四郎に言わされてるんだ」と和田が思ってしまい、余計に事態が悪化するから。
裏を返せば、義時の言葉は、彼の所業故に「誰からも信じてもらえない」し、信じてもらえないことを分かっているから、「自分を突き動かす誰かの「存在」」を借りなければならなかったし、和田の亡骸を前にひとり涙を見せるしかない。

…切なすぎる…。

自分の言葉では誰にも信用してもらえないから、「(言葉が信用できる)他人のせい」にするしかないなんて、つらすぎるよ…。
そして、何人かが指摘しておられましたが、幕府運営のオブザーバーとして畠山重忠さまが残っていれば、こういった暴発は防げたのかもしれぬと思うと、重忠さまロスがぶり返して余計につらい…。

でもって、鎌倉が信じられなくなった実朝は、京の朝廷によすがを求めるわけですが。
我々視聴者は、前半で「後白河法皇の上意に翻弄されてきた武士」を散々見てきたはずだよね。源頼朝が征夷大将軍になるのも、法皇が死去するのを待たなければならなかったし。
なんなら、武士は「院政の始まり(白河上皇)」の時代から、朝廷に蔑まれ翻弄されてきた訳で。
それが、史上初「貴族化しない武士の独自政権」を打ち立ててようやく落ち着きつつあるのに、後鳥羽上皇によってその時代に逆戻りするなんて、義時は許せないよ。

※「上意の上意」→「上皇の上意」

ここからは、雑感ツイートをいくつか。(時系列はぐちゃぐちゃ)

巴御前の「王冠みたいな額飾り」は、前々から疑問があったのですが(木曽義仲が無骨な鎧姿なのに、何故男装の巴にピカピカした額飾りが?と)、秋元才加さんの巴は、そういうのをしなくて正解でした。
凛々しくて愛情深い巴御前を、ありがとうございました。

大江殿、まさかの無双っぷりには、ちょっとびっくりしました。
(しかし、この後の大江殿は、義時とは違う意味でつらくなるのよね…)

さて、承久の乱が見えて来たところで、「治天の君」・後鳥羽上皇が幕府のラスボスとしてそびえつつありますが…

後鳥羽上皇が「治天の君」でなかったら、和田義盛のような最期を迎えていてもおかしくないよ(天皇・上皇の交代と流罪は「寛大」な方)…などと思いますが、どうでしょう。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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