時計の読めない母がもうすぐ死ぬだろう

母が、末期のすい臓がんだと聞かされたのはまだ1か月も前じゃない。

実は、もう何年も、母とは電話のやり取りだけになっていた。

車で20分とかからない場所に住んでいるのにだ。

父とは、向こうがこちら側に頼みごとがあるとき以外は電話すらしない。

私は、母が好きだった気もするけど、憎んでいた気もする。

私が中学の時だ、絶賛思春期の頃だが私は、反抗期がなかったと思われている。

じっさいは、反抗しても受け止めてくれる相手じゃないと思っていたから、表に出さなかっただけだが、一度だけ、母にどうしようもなく思い高ぶって、本音をぶつけてしまったことがあった。

「もっと、普通のお母さんがよかった!」

”きっと色々と私も我慢してたんだろう”ということに、母も気づいてくれる。そう思って、ぶつけた思いだったけど、頬を思いっきり殴られただけでした。

普通という言葉は、私嫌いなんですけどね?

だけど、母は時計さえ読めないんですもの。

こんな母のおかげでたくさん恥ずかしい思いをしてきたし、たくさん我慢もしてきたのに。

もちろん、普通ができない母を責めたかったわけじゃない。

もっと頑張ってほしいと思ったわけでもない。

ただ、気づいてほしかっただけなのだ。

わたし、辛いよってこと。

その日、私は少し寄り道をしていつもより遅い時間に帰った。

母は、その日いつも通り酒を飲みながら、やはり酒を飲む父にそのことを嬉しそうに話していた。

「あのこ、家に帰りづらかったんちゃう? 私に叩かれて、ひどいこと言ったって気づいて反省してたんやろうな」

武勇伝のように語っていた。

彼女の中では、ダメな娘を毅然とした態度で叩いてしつける素晴らしい母ということになっていた。

妹がこそりと「ほんまに反省してたん?」と聞いてくる。

「まさか、家出したろうかなって考えてただけ」そう答えると、妹はニヤリと笑って「せやろな」と言うのだ。

私は、いつも妹に助けられている。

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