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21歳、誕生日の決意

2000年5月6日、21年前の今日私はこの世に生を受けました。
今日はそんな節目の日でもあるので少しだけ自分の今の考えについて綴ってみようと思います。

プロローグ

私は幼い頃からとてもおしゃべりで自由奔放で、そして何でも知りたがりでした。『おてんば』という言葉では到底表しきれないほどだったと思います笑
その自由奔放さは21歳の今も健在で、寧ろ今の方が酷いかもしれませんが…😇

そんな私が人生で一番影響を受けた出来事はたぶん後にも先にもこれだけ。適応障害になって自殺未遂から病院送りになったことだと思います。
もちろん病気に苦しんだことも事実ですが、それよりも自分自身と向き合った時間の方が長く私を大きく成長させた期間だったことは間違いないです。

両親との確執


私は小さい頃から両親のことが大好きでした。
母はいつも私が泣いたりした時は抱きしめてくれたり、風邪を引いたら一日中看病してくれたりしました。

父も休みの日はいつも一緒に公園に行ったり、ショッピングモールのメリーゴーランドや当時流行り始めだったプリクラを一緒に撮ったことを今でも鮮明に覚えています。

もしかしたら傍から見れば過保護に近かったんじゃないかな…と思います。それほど私はたくさんの愛情を受けて幼少期は育ちました。

しかしその温かくて優しいはずの愛情はいつしか形を変えて私に牙を剥くことになります。

私が中学ぐらいの頃に思春期を迎え『自分とはなにか』と考え、自我を持つようになりました。
それまで『自分』という存在は何の違和感もなく全ての人に受け入れてもらえると思っていたことが、実はそうではないらしい…と気付き始めたからです。


自我を持つこと自体は成長の証なので良いのですが、当時の母親はそれを良しとはしていませんでした。
なぜなら彼女にとって私は彼女の『身体』の一部であり、私が自我を持つことで思うように彼女がコントロール出来なくなることを恐れたからだと思います。

それから私は母の顔色を伺いながら生きるようになりました。そうしなければ私に危害が加わることを知っていたからです。

精神的・肉体的な所謂虐待も日常茶飯事で、だんだんどうして自分が生きていなきゃいけないのか分からなくなってしまいました。

『あんたなんか生まれてこなきゃ良かったのに』
『早く死んじまえ』


このような言葉が私に足枷を付けたような重み、身動きが取れない感覚を長年持ち続けることとなります。

それでも好きだった母の変貌を信じられなくて、褒めてもらいたいが為に自分を押し殺して優等生を演じ続けました。
もちろん元々その素質もありましたが、当時の原動力は
『母に褒められること、機嫌を直してもらうこと』のみに集中していました。

適応障害との闘い

そんな感じで高校生まで生命を削ってでもまだその貯蓄があったので頑張れてはいました。しかし18歳の冬、遂に力尽き布団から起き上がれなくなりました。

受験を控えているのに学校に行けなくなった私を母は様々な言葉で罵倒しました。そして部屋を荒らし、叫びながら出ていきました。
それを私はぼーっと眺めてそのあと我に返って泣いたりしました。

その時はどうして自分の身体が動かないのか、何もやる気が起きないのか、『早く死にたい』と思っているのか分からず、かなり戸惑いました。
ただいつもの私ではないことは分かりました。


程なくして父の勧めもあり、心療内科での診察で適応障害と診断されました。
まさか私が心の病気にかかるとは思ってもみなかったので最初は受け入れがたかったのですが何も出来ないのでそういうこととして一旦飲み込みました。


何とか大学は引っかかったところに行くことにしてひとまず落ち着いたのですが、今までのようなエネルギーや勢いで何かに取り組むことが出来なくなり、すぐに大学にも行けなくなりました。

「どうしてみんなと同じことができないのか。」
「授業と課題をこなせばいいだけなのにどうしてそれさえも出来ないのか。」


今度は母ではなくて自分自身を否定するように変わったのです。

もう私はぞんざいに扱われるべき存在だと自分で決めつけていたからでしょう。
程なくして自分で自分を追い詰め続けた結果、自殺未遂から担当医に緊急入院を言い渡され、1ヶ月半の入院生活を送ることになります。

自分を見つめ直した20歳

「自分で死ぬのは大変だし、その時綺麗に死ねる自信もない(実際躊躇をして死に至る程の刺傷を付けられなかったので)」と思い、自殺することを諦めました。

そしたらとりあえず生きなければいけない。
でも生きる理由も特にない、やりたいこともない。(当時の)彼氏とは別れたしこれからどうしよう…となります。

とりあえず入院前から少しだけ取り組んだタロット占いをやってみることにしました。
自分の友達や希望する人を占ううちにその楽しさに気付きます。
私が結果を元にアドバイスをして前向きになり、スッキリした感じで帰っていくところが私にとってはとても幸せでした。
私はすごい人でもなければ有名でもないけど、私の言葉で誰かが元気になってくれるのはとても嬉しかったからです。

それから少しずつですが

『自分とはなにか』
『本当の私はどのような人間なのか』



を様々な人との出会いを通して向き合うようになります。

母親との和解

そのような20歳を過ごす中で、両親への思いも少しずつ変わっていきます。

元々両親のことが好きだったこともあり、ずっとこのまま恨みを抱えたまま生きていくことや、いっその事縁を切って全くの別の人生を歩もうと思っても私の中で心のしこりとなり、なかなか前に進めなかったこと。そして特に母を根っからの極悪人だとは到底思えなかったからです。


「とにかくやれるところまで向き合ってみて、それからどうするか決めたい」
と思い、ギリギリまで両親と向き合うことを決意しました。


最初はなかなか上手く行かず、話し合いどころか逃げられてしまうことも多々あったのですが、様々な人との出会いの中で段々自分自身を認められるようになったことで、その状況も一変します。


『私は私
何もしなくても生きているだけでいい
私は生まれながらにして完璧なんだ』



これがやっと自分の中で理解できたことで、家族との関係も改善し、両親に対する感謝の気持ちも生まれるようになりました。

最後に

自分自身に自信が持てなかったり、自分の存在自体を否定してしまう気持ちは私の色眼鏡(ものさし)でしか分からないけど、私の感覚でなら痛いほど分かります。
かく言う私がそうでしたし、ずっと恨み辛みの塊でした。

でもそれでもいいんです。人間だから。
そういう時もあっていいんです。ずっとじゃないから。

『明けない夜はない』
と言いますが、私は
『夜が明ける前の時間が一番暗い』
この言葉を付け加えたいと思います。

ずっと辛いことは続きませんし、人生はあなた次第です。

でもその言葉でさえも素直に飲み込めない時はあなたがたくさん傷付き、心を痛め、疲弊してしまって立ち上がれない時です。

どうかそんな時は自分に優しくしてください。

きっとあなたは人には優しく、自分には厳しくあたるとても素晴らしい人なのでしょう。

でもずっと自分を痛めつけることはできません。いつか疲れてしまいます。
どうかあなたが『死』を考える前に立ち止まって欲しいのです。
私のようにたまたま助かることもありますが、本当に死んでしまうこともあります。


今自分の周りに味方が誰もいないと感じた時は、何も考えずに美味しいものを食べてたっぷり寝てください。
余計なことを考えそうな時はくだらない動画を流し続けてみてください。
気が済むまで怠けてください。
休むことが嫌だと思ってもも休んでください。


今私は生まれてきて良かったと心から思います。

思っていた以上に周りは厳しくありませんでした。
思っていた以上に私のことを理解し愛してくれる人がたくさんいました。
思っていた以上に世界は絶望的なところではありませんでした。

だから今はそういう時期なんだと思ってください。
自分の嫌なところ、悪いところも見方を変えればあなたの長所になります。

完璧になってしまったら人間ではなく神様になってしまうから。

人間は生まれながらにして完璧、
そして死ぬまで不完全な存在です。

その不完全さを愛してあげてください。
きっと誰かにとってそれは愛おしい部分になるから。


私はすごい人でもないし、影響力のある人でもないけれど、あなたの痛みを一緒に分かち合えるような存在になりたいと思っています。


もちろん至らない点もあるし、完璧にはあなたの苦しみを分かってあげることはできないけれど、痛みを分けることはできると思うのです。そう信じています。
それが私の21歳の新たな目標です。


まだ未熟な私ですが、これからの成長をどうか見守っていてください。

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