トレンドなんて

まもなく夏が終わり、そして秋を迎える。

そう季節は移り変わる。

そして、季節の移り変わりと共に、人々の装いも変わって行く。

そこには、そのシーズン毎の流行り廃り、所謂トレンドがある… 筈だった。以前までは。

今では、昔のようにこぞってそれを買い求めるようなトレンドはとんと見当たらない。
むしろ、これがトレンドですと言われても「それじゃあ、買わなきゃ」と思う人も少ないんじゃないだろうか。

実際、トレンドはあって無いようなものだ。

もはや時代は、一つ二つのドレンドで皆が満足する画一的なものではなくなったのだと思う。一人ひとりが自由に、自分の着こなしを楽しむ。
それこそがファッションである時代なのだ。

ある人にとってファッションは、自分を主張するのためだったり、またある人には機能的であるとこが。
ノームコアの様に、究極の普通をもって個性とするファッションもあるだろう。

それら全てが今のファッションなのだ。

おれが若い頃、某有名セレクトショップのバイヤーが興味深い話をしてくれた。

「今、ボクが革ジャンに革のパンツを履いて歩いていたら、すれ違う人皆が振り返り、多分クスクス笑いますよ。
でもそれを5年続けたら、街で一目置かれるようになります。
そして10年続けたら、あいつは最高にカッコいいって言われます。
それこそファッションですよ」
図らずも、スティーブ・ジョブズのファッションへの哲学が、ある意味それを実証したともいえる。

考えてみれば、世界のメゾンにせい、今をときめくデザイナーにせい、新たな個性を生み出すことに日々心血を注いでいる訳で。
一つや二つの流行を皆が追い求める訳が無い。

ファッションとは本来、各々の個性をどう表現出来るか、ということを云うものなのだろう。

おれはといえば、なるべくちゃんとした物を買いたいと思っている。

某ファストファッション大手が、大量の在庫を密かに焼却していたニュースが話題になったが、そもそもその在庫を安価で大量につくり続ける仕組みに問題があるのではないだろうか。
安価で買える商品が、どこかの国の誰かが搾取される仕組みの上で成り立っているとすれば、それをファッションと呼ぶにはあまりに悲しい。
まして、あるかないかも分からぬトレンドの名の下につくられた商品が、一度も着られることなく燃やされてしまうなど。

生み出されるマネーが実体経済を超えた今、難しい理論はおれには良く分からない。
それでもこの国の消費者は、商品とその価格の整合性には随分と目が肥えてきた。
そして次に目を向けるべきは、その価格が意味するその商品の背景かもしれない。

おれ自身は、高価な物を買う余裕は全く無い。
それでも、なるべく使い捨てにしない物を選び、価格は長い目で見たときの適正を考えるように心がけている。

それが今のおれのファッションかもしれない。

#エッセイ #コラム #ファッション #トレンド

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