見出し画像

見えないものたち

この地球から見上げる夜空は、目には見えない無数の星々で埋め尽くされている、らしい。

先日ある方からお誘いを受け、天体観測の会に参加して来た。残念なことにその日はあいにくの雨となり、屋外での観測を諦め屋内での座学会となってしまった。
主催した先生がスライドを使い、天体のあれやこれやを楽しく教えてくださり、それはそれで楽しいものとなった。
その話の中で一番興味深かったのは、想像以上の星たちがこの夜空には輝いているという事実だ。

先生曰く、元来人間の目には六等星くらいまでの星しか見えないのだという。まして街の明かりが届いてしまう場所では、二等星くらいまでがせいぜいらしい。しかし夜空には二十等星以上の星々が存在し、目には見えないが輝き続けているのだと。
「もし人間の目にもその等星まで見えるとすると、こうなります。」という言葉とともに見せられたスライドは、一面を覆い尽くす星の姿だった。輝く星々でスライド画が真っ白といった感じだ。

そしてこう続けられた。
「人間にもこれほどの星たちが見えていたなら、星座という概念は存在しなかったのではないでしょうか」と。
確かにその通りだ。これほど星がひしめき合っている夜空では、その星々を線でつなぐ、などといった発想はなかったことだろう。

想像するに、無数の星々が覆いつくす夜空もさぞ美しいことだろう。しかし同時に、人の持つ想像力や星に対する畏怖や神秘性も失われていたのではないか。

現代に生きる我々は、あらゆるアプリを使い、人間の持つ能力以上の体験を擬似的に経験することが出来る。しかし、古からの叡智が創りだした想像力豊かな教えは、色あせることなく様々なことを教えてくれる。
人は、見える必要のないものを見ずにすむ能力と、見えるものから何かを生みだしてゆく能力、その二つが備わっているだろう。
神は、人が生きて行くうえで一番幸せなスペックを過不足なく与えてくださっているのかもしれない。

今夜もバルコニーから夜空を見上げて見る。街の明かりのせいで、二等星だって見えやしない。
二十等星とは言わないが、人の持つ本来の能力が発揮できるくらいの夜空を眺めたいものだ。

その夜空には、見えないものを想像し、今見えているものを敬いそして愛しむ古の知恵が感じられるだろう。

#エッセイ #コラム #星 #夜空 #天体

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?