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人生の句読点

先日ある方と話をしていて、「なんか分かるな〜」と言い得て妙な表現を聞いた。

生活の中に『句読点』がない人がいると言うのだ。
その方は話の流れの中で、「そうね〜、なんだか見ていて句読点のない人って居るわよね〜」まあ、そんな感じだったように思う。
それを聞いて、なんだか妙に納得した。

所謂「メリハリがない」と少し違う感じで受け止めた。メリハリでいったら、こっちも頭の一つも下げたくなる。

人生の節目とでも言おうか。
生きていれば、大なり小なり後悔もあるだろう。
ただ、人はそれをなんとか受け入れ、人生の文脈に句読点を打って行く。

なんだろう…
人生の全てにおいて、結果を避けてるとでもいおうか。
自分なりの答えや、結論を持たない人でも言えばいいのか。
流されるまま誰かの答えにのってみたり、敢えて答えを出さぬよう問題を先送りし続けるとでもいおうか。

庄司薫の『赤頭巾ちゃんきおつけて』の一節に、正確ではないが、「面倒なことは避け続ける。どうしても避けられないものに出会ったら、それこそが重要なことなのだ」といったシニカルな会話があったように記憶している。
確かにその通りなのかもしれない。
ただ、あらゆる問題を避け、逃げ続け、人生を全うすることは出来るものではない。

「句読点のない人」に出くわすたび、 その先に待ち構える「避けられないもの」のその大きさを思わずにはいられない。

なるべく人生に句読点を打ちながら暮らして行きたいものだ。

#エッセイ #人生 #暮らし

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