超アバウトなヨーガの話

 あんまり情報が広まっていない感じなので、知っている限りでヨーガについて書いておくことにする。
 誰かの役に立つかも知れないので。
 と書いてもどこから書いたらいいのか……。
 まず現代のヨーガの事から書くと、インド政府がインストラクター養成とかやってたりするいわゆる今広まっているヨーガは、ここ100年くらいで成立したものだ。
 それには色々な事情があって、あの有名なヴィヴェーカナーンダがこの問題を生み出した主犯だったりするのだけれど、その話は余談みたいなものなので今回は省く。
 とにかく現代のヨーガはそれまでの伝統的なヨーガだけではなく、ボディビルとか、北欧の健康体操とか、インド武術やインド舞踊とかも取り入れて成立した総合的なシステムなので、言ってみればヨーガをベースにした総合的な創作メソッドだという事になる。
 問題をややこしくしているのはそうした現代の創作ヨーガが、何故かハタ・ヨーガを名乗っていることで、今私が書こうとしている話の中のハタ・ヨーガはそれとは違うものなのだ。
 もちろん現代ヨーガ(現代式ハタ・ヨーガでもいい)が駄目だと言うつもりはない。十分使える。
 というか伝統的なハタ・ヨーガとヴェーダ系のヨーガ(いわゆるラージャ・ヨーガ)のいいとこ取りをしようとしているので、かなり筋が良いシステムだと思うし、何よりガチのハタ・ヨーガのような超絶的な複雑操作がない。だから当然危険性も遥かに低くなっているし、要するに万人向けなのだ。
 万人向けというのは決してそのシステムの程度の低さを意味するものではない。むしろ完成度の高さを示していると思う。
 とは言ってもどの世界でも突き詰めていく人達は居て、そういう人達にとってはコアなもの、一般向けで無いものの方が遥かに重要になる。
 ましてや神秘修行とくれば言わずもがなというやつで、だから私もこうしてnoteを書いているわけだ。
 そういうわけでヨーガの成立事情も知っておいた方がいいと思う。何と言っても霊統に影響するからだ。
 では伝統的なハタ・ヨーガと、ヴェーダ系のヨーガってのは何なんだ? と言えば、それは分け方の問題になると私は考えている。
 宗教モード的に言えばドラヴィダ系とアーリア系、行法の特色的に言えば肉体系と瞑想系という言い方になるだろうか。
 ごく大雑把な分類だけれど私はそんな風に考えている。

 アーリア人ってのは中央アジアからインドへ南下していった侵略民族で、ヴェーダに寄ればアグニを先頭に進んでいったらしいから、おそらく焼き畑しながら南下したんだろう。
 アーリア系の連中は社会の階級分けとかに共通の癖が有るんだけれど、その中のいわゆるバラモン階級の連中が使っていた経典がヴェーダと言われる物だ。このヴェーダは中身が四分割されていて、その中の最語尾の部分がウパニシャッドと言われる。ヴェーダの結尾という単語をそのまま使ってヴェーダーンタとも言う。ここがいわゆる神秘哲学の思想の部分になる。その辺を題材に瞑想しまくるのがアーリア系のヨーガだ。というか瞑想しかない。
 一方インド亜大陸の南の方には御存知ドラヴィダ系の人々が住んでいた。
 彼らはアーリア人に征服される過程で社会の最底辺に追い遣られて行ったのだが、この人達の宗教の影響を色濃く受けているのがシヴァ神だ。
 個人的にはシヴァはドラヴィダの神様と言ってしまっても良いと思うんだけれど、そのシヴァ教徒の中にハタ・ヨーガの御先祖様のヨーガがあった。
 シヴァ宗獣主派っていうのだけれど、この他にもシヴァ崇拝っていうのは色々な宗派があって、凄くややこしいので、とにかくシヴァ教徒の中に体を動かすヨーガをやってた連中がいたと思えばいい。
 なんだかんだと色々な名詞を書いてもいいのだけれど、そうするとややこしくなるのでなるべく簡単に書いていく。
 とにかくシヴァ教徒のヨーガとタントラ、そしてタントラ仏教(インドの密教)が結び付いたのがハタ・ヨーガだと思えばいい。
 その伝統的なハタ・ヨーガを創始したのはゴーラクシャ・ナータという覚者で、この人は確か18だか12だかの当時の秘教結社を総合してナータ派を立ち上げた。
 このナータ派がやっていた修行法が伝統的なハタ・ヨーガだ。
 だから伝統的なハタ・ヨーガの伝承者は○○ナータという名前になる。
 一方ヴェーダ系のヨーガの伝承者は○○ナンダという名前なので、そこを見るだけで流派の系統が判る。
 その意味でハタ・ヨーガをナータ派ヨーガと言っても良いと思う。
 ゴーラクシャ・ナータはタントラ仏教の行者でもあったらしくて、当然それがハタ・ヨーガには色濃く反映された。そもそもハタ・ヨーガという言葉を使い始めたのはインドの仏教徒だという話もあるけれど、この辺は私は詳しくは知らない。
 一方ヴェーダ系のヨーガってのは上に書いたようにアーリア人の神秘修行システムで、ヴェーダとヨーガ・スートラがその経典。その修行法は瞑想。
 瞑想ってのはシュタイナーが言う「下位の神々」にじかに会いに行く行法なので極めて危険で、その為の安全弁がいわゆるヤマとニヤマ(禁戒と勧戒)。
 だから瞑想をしないハタ・ヨーガにはヤマとニヤマはない。必要ないからだ。
 ヴェーダ系ヨーガの聖典、ヨーガ・スートラが8支則。
 ハタ・ヨーガの代表経典であるハタ・ヨーガ・プラディーピカーは6支則だ。
 では何が省かれているのか? ヤマとニヤマが無いのだ。
 いやいやアシュタンガ・ヨーガにはありますよ? と言う人はこのnoteを上の方から読み直して欲しい。
 アシュタンガ・ヨーガは現代ヨーガであって伝統的なハタ・ヨーガとは全く違うものなのだ。
 逆を言えば瞑想系の行法をやる場合には絶対にヤマとニヤマが必要になる。
 ヤマとニヤマを単なる「良い子になりましょう」的な倫理道徳のお題目だと考えるのは危険だ。あれは瞑想をする場合に必須となる安全装置なのだから。
 だから「ヨーガとは瞑想である」と言ってしまうのは乱暴だと私は思う。それはヴェーダ系の連中が言いだした事なのではないか。
 例えばハタ・ヨーガはラージャ・ヨーガの一部だとか抜かすインド人がいるが、真っ赤な嘘だ。
 まさにそれこそハタ・ヨーガをヴェーダ系の下位に位置付けようという思惑に他ならない。
 単純に歴史的な経緯を全く知らないボンクラだという可能性も有るが……。
 とにかくヴェーダ系の瞑想ヨーガの連中は、タントラ系のナータ派ヨーガを見下しているらしいし、逆もそうなのだ。
 ナータ派の経典を読むと瞑想なんかで悟れるわけが無いとか書いてある。
 お互いに馬鹿にし合っているわけだ。ここには民族の違いと社会的な身分の違いが関わっているのでどうしようもない面があると思うのだけれど、それは今回の本筋とは関係ないので省く。
 もしもハタ・ヨーガに「では瞑想以外でどうやって悟るのか?」と聞いたらどう答えるだろうか?
 おそらく「肉体を取っ掛かりにプラーナを制御するのだ」と答えるだろう。
 つまりハタ・ヨーガはプラーナヤーマがその核心という神秘スクールなのだ。
 ひょっとすると「プラーナヤーマって呼吸法のことでしょ?」という人がいるかも知れないので書いておくが、それはあくまで見た感じの話であって中身は全然違う。
 プラーナヤーマは宇宙に満ちるプラーナを制御する技法のことなのだ。
 そしてその根幹にはナータ派の宇宙論・世界観がある。
 ここで最も重要なことは、ヨーガを骨とか筋とか筋肉の運動として捉えていると、ナータ派ヨーガは全く理解できませんよという話だ。
 ナータ派の描く人体観では人間は骨とか筋とか筋肉だけではなく、むしろそれより遥かに重要な概念としてナーディーとチャクラ、マルマで構成されたシステムだからだ。
 これは丁度中国の仙道や武術、医学が経絡で人体を捉えているのに似ている。
 中国人の伝統的な人体観では、人間とは気の流れそのものだからだ。そこでは物質的な肉だの骨だのは言わば間仕切りのようなものであって、あくまで主体は気の流れ、則ちその道筋である経絡という事になる。
 ナータ派の場合でもその事情は似たようなものであって、プラーナとそれが流れる道筋で人体を考えているわけだ。
 そこを制御することによって言わば機械的に三昧状態を作り出すのがナータ派ヨーガ、則ちハタ・ヨーガなのだ。その意味で極めてメカニカルなシステムだと言っていい。
 だからハタ・ヨーガは詰め将棋的に修行をしていくことになる。
 意念とマントラ、ムドラーとバンダを駆使しながら人体のプラーナ流を制御して成就へ到ろうという発想なので、その手順は恐ろしく複雑になる。
 例えるなら……第三ゲート開放、経脈の24番と26番を開放、プラーナが到達した時点で、第三ゲート閉鎖、同時に二重蓮華の台座を観相しつつ神秘図形をイメージ構築、心の中でマントラを唱える……みたいなことを段階的に次々と進めていくことになる。
 当然卓越した師匠による伝授が必要で、瞑想とは違った意味でのシステム的な情報量が莫大に存在するわけだ。
 一方瞑想の方は、瞑想で常にニュートラルな位置に立てるようにするために、師匠によるコントロールが必要なシステムだからそれはそれで大変なのだけれど、ハタ・ヨーガの精密機械を操作するような(実際人体は精密機械だが)作業は文字通りの緻密な大変さがあると思う。
 上でも少し書いたがハタ・ヨーガはタントラ仏教とシヴァ教徒のヨーガが元になっている。その伝承者達はアーリア系のヨーガのようにハイカーストのバラモンやクシャトリヤ階級ではなく(バラモンとかが居ないわけではないが)、インド社会の最底辺、不可触民とかその辺の人達が多い。そしてその修行場も尸林と呼ばれる墓地と火葬場が一緒になったような場所だったりする。
 タントラ仏教と言えば性ヨーガが有名だが、それだけではない。
 例えば死体を掘り出してそれでマンダラを作って儀式を行ったり、糞尿を食べたりといった修行法を行ったりする。そこにはもちろんきちんとした宗教的な理由と構造があるのだけれど、個人的には到底付いていけない世界だと感じる。
 そしてハタ・ヨーガにもそういった側面があるのだ。
 そんな複雑怪奇なハタ・ヨーガだがどうもいまいちパッとしないのは、その修行法の複雑さと尋常で無い世界観だけではなく、ハタ・ヨーガの伝承スクールであるナータ派がイギリスによって壊滅させられたからというのも大きい。
 これもまた軍事関係の話になって本筋からずれるので簡単に書くが、独立するまでのインドでは大英帝国に対する闘争運動が長い年月続いていたわけで、その中でナータ派も酷逆非道な大英帝国に対して武器を取って立ち上がり、そしてボロ負けしたのである。
 イギリスに限らず、欧州人は圧倒的な強さでもって世界中に植民地を作ったが、これは近代兵器を持っていたからという事だけではない。近代兵器はあくまでその理由の一部でしかない。
 とにかくどのくらいイギリス軍が強かったかというと、どこかの反乱では5万人のインド側武装勢力をわずか800人で打ち負かした例がある。そのくらい強かったわけだ。
 本来のハタ・ヨーガがそうして壊滅する一方で、20世紀に入ってから出て来た現代ヨーガがどうしたわけかハタ・ヨーガを名乗りだした。
 それが現在のわけのわからん状況の理由になる。
 では現在本物のハタ・ヨーガはどこにあるのか? インドだ。日本ではメジャーでないだけでちゃんと生き残っている。
 ゴーラクシャ・ナータを祀る総本山とかもある。出来れば行ってみたいなあと思うけれども、生きてる内に機会が有るかな……。

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