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良書を見極める“勘”

未来出版研究会事務局長のKです。

良書を見極める勘について、興味深い言葉を見つけました。

 私は数えで六十四歳だが、七歳のときに四書-『大学』『中庸』『論語』『孟子』の素読を始めてから、もう五十七年も本を読んでいるわけだ。
 そうすると思想的な書物、精神的な書物は、手に取って見ると、この本はいいとか、この本はだめだということを直覚する。
 読んでみてから、いい本だなと思うようでは、そもそも話にならない。
 勘が鈍い。

安岡正篤・著『安岡正篤一日一言』(致知出版社、2006年)

いわずもがなですが、安岡正篤さんは東洋思想研究の大家であられる方です。七歳のときから四書を素読されていたというのは驚きますが、読書人もこの域になると「手に取って見ると、本の良し悪しがわかる」ということでしょう。凡人にはなかなか到達できない域のお話のようにも思えますが、これは大事にしたい視点だと思います。

私自身、編集者として「良書とは何か」という命題について考えさせることが多いのですが、読書好きな人であれば誰もが考えることなのではないでしょうか。

世間一般で売れている本が”良い本”かと言えば、必ずしもそうではないでしょう。良い例ではないかもしれませんが、ブルーハーツの甲本ヒロトさんに、「売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ」という名言があります。カップラーメンは確かに美味しいですし、多くの人に愛されていますが、カップラーメンよりも美味しいラーメンはほかにもあるでしょう。

同様に、「売れている本が良い本か」ということも疑ってみる必要があると思うのです。「売れている本は、多くの人が望んでいる商品だから売れているのであって、良書に違いない」と主張する人もいるでしょう。それも一理ありますが、私の知人は「たくさんの人に売れる本は、多くの人に理解される簡単な内容の本だと言える」と言っていて、私はこれにも一理あると思いました。

もちろん、良書かどうかは客観的な尺度だけでなく、主観にも左右されます。ですから、世間がどんなに良い本だと言っても、手に取った個人に役立たないものは良書とは言えないかもしれませんし、逆もまたしかりです。

確かに言えることは、「簡単に手に入れられるものは、簡単に役立たなくなる」という格言もあるように、「売れている本」ばかり盲目的に“良い本”だと信じるのは控えたほうがよさそうだということです。

私自身、哲学書や宗教書など、難解でちんぷんかんぷんな本を積極的に読むようにしているのですが、読み応えのある本を読んで自分のなかで思索を深めていくと、あるときポンっとなにかに気づく瞬間があります。その気づきが、その後も難解な本を読み続けると、本から本にわたって連鎖していき、いままでちんぷんかんぷんだったものの中から、何かを掴める感覚を得られるのです。

このなんとも言えない“掴める”という感覚を育てていくと、その本が自分にとって良本か、そうでないかの線引きがはっきりしてくると思うのです。これは「難解な本だから良い本」なのではなく、もちろん平易で読みやすい本の中にも良書を見いだすこともあります。

いま未来出版研究会で危惧しているのは、本の読み手に良書を選りすぐる勘が養われず、いわゆる”売れる本”(読みやすいが、簡単に役立たなくなる表面的な情報を書いた本など)だけが売れ、本当は良書なのに日の目をみずに返本・断裁の末路を辿ってしまう本が増えてしまうことです。
先日も仏教書の版元が資金繰りがうまくいかずに倒産してしまったのですが、コロナ禍のあおりだけでなく、この問題と無関係ではないと思います。

書店で本を手に取った時に、「これは良い本だ」と勘が働く読者が増えることで、書店をはじめとする出版業界が健全に発展していくことを切に願っています。


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