〈21.パワートゥザピープル〉

 僕は質問した。

「ねえ、思ったんだけど、ゲットーの人がいくら貧しいって言ったって全くお金がなければ1日も生きていけないよね。少しはお金があるの?」

「少しはお金はあるわ。ゲットーの人の半分ぐらいは生活保護で生きてるわ」

「なんだお金あるんだ。じゃあ安心だね」

 アンジュちゃんは安心した。

「でも生活保護があるとそれはそれで大変なの。お金を麻薬に使う人がいたり犯罪の資金源にする人がいたりする。それにお金があると母子家庭の人が増えるから親にちゃんと生き方を教えてもらえない子どもも出てくる。そうすると非行の原因になってまた犯罪が増える」

「お金があっても解決しないんだ」

 アンジュちゃんは悲しんだ。

「子供の数が5人を超えるともらえるお金が倍増するの。だから5人以上産む人が多いわ。

 フードスタンプって言って食べ物をもらえる制度があるからそれで食べ物をもらう人も多いわ。」


「ゲットーの人はどんな家に住んでるの?」

 まほろちゃんが聞いた。

「昔、白人の中流の人が住んでた街に黒人が住み始めた途端に白人が去っていったというパターンが多いから家は大きいの。ただし全くメンテされないからボロボロよ」


「普通に働く人はいないの?」

 まほろちゃんが質問した。

「働くとすれば差別に会う。ゲットーの外に出れば職務質問される。」

「酷い」

 まほろちゃんも悲しんだ。

「普通に働くとすれば地方への出稼ぎが多いわね。夫が妻子を養うために近くの農村に働きに行くの。例えばニュージャージー州でビーツが収穫の時期だと分かったら収穫を手伝いに行ったりとか。

 そして稼いだお金を奥さんに送金するの。奥さんは生活保護と仕送りをもらいながら子どもを育てるんだけど、ある時パッと仕送りが途絶えることがあるの」

「もしかして夫の身に何かあったりとか?」

「病気や事故の可能性もあるけど一番多いのは浮気よ。夫が他に女を作ってその女にお金を使うの。だから仕送りが途絶えたら「浮気したな」というサインなの。」


 ダイアナさんは続けた。

「それからさすらいの生き方をする人もいる」

 さすらいというのはどこにも住まずに旅に生き、仕事を求めてあちこちの町を彷徨(さまよ)う生き方。

「西部開拓時代に盛んだったさすらいの生き方をする人がまだいたんだ。」

 僕は興味を持った。

「最近アメリカでまた盛んになってるのよ。アメリカがあまりに貧しいからね。ただし現代のさすらいは車が必要よ。車で移動して車の中で寝泊まりするの。夜になると車中泊ができる駐車場に大勢の人が集まるの」

「そうなんだ。すごい。」

 アンジュちゃんは感心した。

「ニューヨークで働くのと同じくらい大変な生き方よ。」


 ダイアナさんはさらに続けた。

「ニューヨークで働くとしても雑用や重労働が多い。強い人ならガードマンになる。本当に貧しい人は乞食になるしかない。

 そしてそんな生活から抜け出そうと思ったら犯罪者になる。男は強盗や恐喝、詐欺師や麻薬のディーラー、女は売春か、または犯罪者の彼女になる。

 クリエイティブの才能がある人ならラッパー、モデルになる」

「成り上がりを夢見てる人もいるんだね」

 僕は理解した。


「田舎に暮らす人は?」

「アメリカの田舎は保守的な考えの人が多いのよ。黒人が安心して住める町は少ないの」


 アンジュちゃんが聞いた。

「貧しい人を助けようっていう人はいないの?」

「ゲットーでは力の論理(パワーポリティクス)が支配してる。」

「パワーポリティクス?」

 アンジュちゃんが聞き返した。

「人に絶対逆らえない状況っていうのがあるの。例えば銃を突きつけられてたり、貧しい時にお金をもらってたり、どうしても欲しいものを持ってる人がいたり、危機一髪の時に助けてもらったり、守ってもらってたり、弱みを握られてたり。

 そういう風に絶対逆らえない状況を意図的に作り出して人を操る人がいるの。そうやって人を操る力のことをパワーって呼ぶの。人はお金だけじゃなくてパワーも欲しがるの。パワーはお金がない人からも奪うことができるの。

 だからチャリティで貧しい人を助けようという人がいたとしても、実はパワーポリティクスのためだったりするの」

「そんな発想は今までなかったな」

 アンジュちゃんは感心した。

「でもそれは国と国民との関係、国と国との関係も同じだと思うの。世界はパワーポリティクスで動いてるのよ」


 ダイアナさんはふと話題を変えた。

「江戸時代には飛脚(ひきゃく)っていう人がいて江戸から京都まで3日で走ったんですって?」

「へぇ、よく知ってるね」

 飛脚は江戸時代の配達人で手紙や荷物を走って届ける職人だった。

「今の日本人はあまりに過保護な社会で生きてるからすっかりひ弱になってると思うの。今の日本人がゲットーに来たらひとたまりもなくて、人はどうすればいいかわからなくてオロオロするしかないんじゃない?」

「そうかもね」

 僕は共感した。

「ニューヨークのモデルやアスリートの中には、東京−大阪間を走るのに匹敵するくらい過酷なトレーディングを積む人もいるわよ」

「すごい」

 僕はまた感心した。


「黒人たちが過酷な環境で生き抜くために出した結論が体の力(ボディーズパワー)よ。」

「ボディーズパワー?」

 アンジュちゃんがまた聞き返した。

「お金もない学もないコネもない黒人が生きるためには体一つでできることをするしかないの。ボディガードとかモデルとかね」


つづく

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