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パブロフのカンコツ

言い方を変えると、修士学士取得者まではリーダーの色に染めることが出来るということだ。怠惰にしようとすれば怠惰になるし、馬力を持ってことに当たる者にも育つ。そこそこの経験を積んで使い勝手の良い修士課程卒業生が、工学部においては就職先が多くあるということは、当然のことかもしれない。

博士学位取得の意味は、専門を高めたことでは無い。専門をどのようにして高めることが出来るのかを経験したことにある。「カンコツ」では無い、学理に基づいたエビデンスベースの技術を構築できる。これは「カンコツ」を定量化出来る事に繋がり、技術者が築いてきたカンコツによる手仕事をNC制御に置き換え、更に、AIによるプロセスインフォマティクスによるものづくりに発展させる不可欠な可視化となる。

我が国では世界で発生している「馬力ある頭脳の所有者」たる博士号取得者の雇用に後ろ向きである。上司の伝達を実行するための「コミュニケーション能力」の『果実』を求め、自ら思考して動き出すことが出来る『根っこ』人材を排斥している。何を身に着ける学びに取り組んだのかという事が度外視されている。正にカンコツを推奨しているかの如くである。カンコツはコミュニケーションが生み出す価値の対極にあるのにである。現場の中で得た経験が繰り返し成されると、現場の人間はパブロフの犬に成れる。しかし、餌を与える側には立てない。コミュニケーションという催眠術には新規に価値を生み出す力は無いのだ。