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コーチングを通じて、自分の心を見つめ直した話

こんにちは。
UXデザイナーの村越(@smurakos)です。
普段はUbie株式会社という医療系スタートアップでプロダクトデザインをやっています。2021年2月に今の会社にジョインしました。

今回は、会社に入る前に経験した話について書いてみたいと思います。

実は、今の会社にジョインする前の約6ヶ月間(2020/09 - 2021/02)は、いろいろなことが積み重なり、適応障害という病気にかかって長い休みをとっていました。

中途半端に休むのもよくないと思い、思い切って全てを止めて休むことに専念しようと決めたのが、2020年9月末頃。
そこから、本当に何もしない日々を過ごしたのですが、病気と診断された自分も含めて、そういえば自分って本当はどういう人間でどう生きていたいんだっけ?ーこう問うて見ると、あんまり考えてなかったな、ということに気づきました。

たまたまできたこの時間を、自分をもっと深く理解するために使おうーそう思い立ちました。

なぜ、コーチング?

タイトルにもあるコーチングという手段を選んだのは、なんとなく「相談することで一時的に楽になりたいのではない。自分自身を理解し、思考、行動をかえていかなければ、病からは抜け出せない」と思ったからでした。

さあ、始めよう。
そう思った時にぱっと浮かんできたのが、Twitterで繋がっていた知人が運営しているmentoというサービスだったので、mentoを利用してみることにしてしてみました。

テーマ:自分の軸となる「生き方」を言語化したい

これが、コーチにお願いしたテーマでした。

企業はよくビジョン・ミッション・バリューを定め、企業の人格や行動を言語化することで意識統一を図ります。

人もそれと同じで、自分が信じることができる強い言葉を持てば、揺らぐことのない安定した心を持てるのではないかと考えました。

ステップ1_自分が心を動かされるものは何?

- あなたの人生の軸はなんですか?
- 一番辛かったと思う瞬間はなんですか?
- 一番良かったと思う瞬間はなんですか?
- 仕事していた時の自分が、自由な時間を与えられたら何がしたかったですか?

まず、最初に問われたのがこれらの問いでした。
意外に「これだ」と明確に言語化できなかったり、なぜ、それが自分にとって大切なのかをうまく説明できなかったり。

日頃、自分のことについて考えるということがいかに習慣的にできていないかを痛感しました。同時に、病の中で「自分は今どういう気持ちなのか」、「病が回復した時の自分はどういう自分か」も言語化できていなかった。

そこで、最初のステップとして「日々、何に心が動いたかをメモする」ということを行うことにしました。
「面白いと思うもの」、「これは良かったと思う本や映画、音楽」、「その日に起こったちょっとよかったこと」、「逆にその日に起こったちょっとよくなかったこと」、をまずは丁寧に記録していくことから始めました。
Mindnodeというマインドマッピングツールに日々、何をしたか、それで自分はどういう気持ちになったのか、をひたすらマップしていく作業を続けました。

また、muuuteというジャーナリングアプリを活用して日々の気持ちを記録していく、ということもやっていました。(下のスクショは当時毎日心が動いたことを書き出していた時のもの)

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ステップ2_自分の心のパターンを知る

次に、自分が心を動かされるもの。それにはどんな共通点があるだろう?どんなものに心を動かされるのだろう?そのものを見た時、どのように心は動く?

これらの問いをもとに、自分が心を動かされるもの(風景、映画、音楽、本など好きなもの)をパターン分類していくと、

- 原点・原典:物事の歴史・はじまり
- シンプルなもの、廃れないもの、本質的なもの
- 新しいもの、未来
- 破壊的なもの、再構築されたもの
- 街を歩くこと、寄り道すること、道草すること
- 止まること、座ること、じっとすること
- ものを集めること(映画のパンフレットとかのコレクション)
- 組み立てられたもの、構造的なもの、拡張するもの

と、一見矛盾していそうな相反するものが共存していそうな興味深いパターンが見えてきました。

上記のような気持ちのパターンに対して、

「環境や変化への適応力はあるが、周りに過度に適応し過ぎる自分」
「本当は自分の中に確固たる本質的な考えを持っているのに、過度な適応がそれを抑え込んでしまう自分」
「自分の気持ちの流れるままに歩きたい自分」

「葛藤に対する怒りが自分の心を攻撃してしまう自分」

これが自分が感じる「辛さ」の根本なのでは?という言葉をもらったときはハッとしました。

自分の生い立ちから今に至るまで「自分の心を良くも悪くも動かしてきたものは何か」について、ずっと考えた結果、いくつかのキーワードが見えてきました。

- 変化を好むが、根底には本質的なものがあってほしい
- 好奇心を制限されることなく、自分の中にインプットを蓄え続けたい
- 物事を深く理解すること、そのために視点を細かく・低く持ちたい
- 立ち止まって考える「ゆっくりとした時間」を常に持っていたい
- 相手に対して気持ち良い人間であるために、自分を良い状態に置いておきたい

これが、自分の心を構成する要素であり、そのどれもがかけても自分にとってはストレスであり、これが続くと心のバランスを壊してしまう。

そう結論づけることができました。

ステップ3_自分の願いを言葉にする

コーチとの対話を通じて、自分自身の「型」のようなものが見えてきたところで、今度はそれを言葉として残しておきたいと思いました。

そして、それは自分のトリセツというよりは、自分の行動や思想の拠り所となるようなガイドのような役割を果たすもの、「願い」のようなものであって欲しい、と考えました。

自分はどういう心を持って生きていたいのか、自分が最もストレスから解放された姿であるには?自分自身を象徴する言葉とともに、理想の心理状態を表すキーワードを添えて、5つの行動規範を自らに定めました。

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1. 流れるように生きる
円窓。流れる一筆書きの円のように、終わり・始まりも、上下もない、こだわりから離れた心で物事を観る。
流れ。美しい無駄のない流れるような所作、流れる水のように繊細でしなやかに変わり続ける心を持つ。

円窓とは、始まりも終わりもない一筆書きの円で、真理を表すものの一つと考えられています。個人的に、善悪や正誤、上下、などの二項対立的な考え方をいつからか好まなくなったり、理想とか失望とかそういう気持ちからも自由でありたいと考えるようになってから、「こだわり」から離れられる自分が一番精神的に自由だと思うようになりました。

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2. 真白で生きる 
白。無限に広がる領域。無限の空間、好奇心の器として生きる。 余白ではなく、白。
初心。童心の初心、社会に出たときの初心、経験を積んだときの初心。局面で接する様々な初心を常に大切にする。

よく、「人生に余白を」と言いますが、僕はその逆を生きたいと思っています。好奇心で心を満たせるように常に真っ白でありたいし、そこに知識や興味をいつでも詰め込めるようにしておきたい。また、人生常にDay1ということで、いつでも初心、いつでも初めての瑞々しさと緊張感を持てるとハリが出るのかなぁ、と。

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3. 低い視点から世界を見る
低空飛行。視点を下げると物事の解像度が高くなる。物事のスピードがゆっくりになる。虫の目で具に見る。
神は細部に宿る。美しい動き、美しい形は内面から生まれる。

自分は遠く未来を見据えられるビジョナリーではなく、常に具体を具に見ること、そこに執着するタイプの人間であるし、その視点を持って考えられることがまた強みでもある、と思っています。
視点を低く持つと物事の解像度も上がる、物事の解像度が上がると感受性も豊かになる。と思っています。

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4. 静慮して坐す
静慮。静かな心で思索に集中する。一点集中。
研ぎ澄まされた感性は小さな変化に繊細である。研ぎ澄まされた感性は内面を常に変化させる。
小さな季節の変化にも立ち止まって感じ入れる静かな心を持つ。

静慮とは静かに考えるという意味です。仕事から離れた素の自分はとてもスピードの遅い人間なので、立ち止まって考える時間が必要。立ち止まって考えたり、座ったりしてもいいし、時にはそれが必要。そうしないと息切れしてしまうし、疲れてしまいますね。

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5. 自分をもてなし、相手をもてなす
回向。自分が積んできた人生の経験・功徳を相手に振り向ける。自分を常に善い状態に置くことが相手に対して、心を尽くすことに繋がる。常に自分に対する「手入れ」を怠らない。

回向とは「自分の徳を相手に振り向ける。相手を想う」ということで、「もてなし」の語源も「持って成す」から来ています。相手に対して、気持ちを尽くすにはまずは自分が整っていなければならない。そのためには常に自分を良い状態に置いておかなければならない。それは自分のためにも相手のためにもなる、という「人と接するときの心得」を最後に置きました。

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自分の生い立ちから、感情の動きまで細かく分解した上で出てきた5つの言葉。初めて自分を言語化できたような感じと、新しい自分を決めたような気持ちと、不思議な感覚になりました。
自分を良く理解するという意味では取り組んでよかったと思っています。

コーチングにおけるコーチとは「自分の合わせ鏡」であり、自分自身の壁打ち相手、だと思いました。
壁打ちを通じて、自分がこの先も大切にしていきたいと思える行動と心のあり方を言語化できたような気がします。

新しい習慣_歩行禅と茶道

自分の生き方、心、願いを言葉にする。それがある程度形になったところで、実際に「自分を良い状態に置いておくための習慣」を持とうと考えました。

そこで、前々から興味があった「禅」と「茶道」を習慣として取り入れてみることにしました。

禅:歩行禅
歩行禅は毎朝30分、手を胸の前に組む叉手(しゃしゅ)という姿勢をとりながら、心を空にしてひたすら歩きます。intripという坐禅用アプリを活用して、Thinking Bowlの音をBGMに呼吸を整えて、心を整えます。
もう半年以上続けているのですが、これが今では1日の始まりを気持ちよく迎えるための、重要な儀式のようなものになっています。

茶道
茶道は裏千家の茶道を習い始めました。40の手習い、ということでこの年で先生のもとで色々と教わるのはとても良い経験になっています。
また、習えば習うほど、茶道は面白いもので、点前の所作は全て、始まりと終わりが同じところにあり、所作の終わりは所作の始まりになるようになっている、とか円窓という禅とも通じる考え方を持っている、とか。

面白いもので、心が焦っている時、心が落ち着いていない時は決まって点前の手順が飛んだり、うまくできたつもりでも先生に「焦りが見える」と指摘されます。そういう意味でも、自分の気持ちや状態をチェックする良い機会にもなっています。

純粋に点前に集中しているときは他のことを忘れて目の前の客に集中する、お客である時は目の前の一杯に集中する、というのも心地よかったりします。

まとめ

いかがでしたか?

コーチングにおけるコーチは自分の合わせ鏡なので、どんなテーマを扱うかも自分次第。

僕は、自分の心を理解するということをテーマにコーチングセッションを行ってみましたが、これが思った以上に自分に良い影響を与えることになりました。

今回、セッションを受けてみて改めて思ったのは「自分は自分のことを思ったよりもわかっていないし、自分の感情を思ったよりも理解できていない。」ということ。

コロナが思ったよりも長く続いて、家の中にこもっている時間が長くなったり、リモートでの仕事が当たり前のものとなった今では、自分を常に善く保つ方法が前よりまして重要になってきているように感じます。

病気というのが一つのきっかけになって生活のいろいろなものに変化が起こりましたが、心の病気というのは厄介なもので「完治」という状態はないのだと思います。今も不調に陥ることはたまにあるし、治療も続けています。
自分を良く保つ、というのは自分が精神的にも肉体的にも健康に生きていくためにも必要なことだとあらためて感じます。

そのための一つの手段として、「コーチを持つ」というのも良い選択肢なんじゃないか、という経験談でした。

もし、似たような状況にある方がいたら参考になれば幸いです。

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