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背筋が凍ったブラックジョーク

あれは、会社を辞める一年ほど前のことだったと思う。

僕が九州営業所から本社勤務になって、おそらく半年以上は経っていただろう。
その当時、九州営業所の僕の後任になるはずの先輩が、九州転勤を拒否して会社を辞めてしまったので、相変わらず僕が吸収の案件を手掛けていた。

新宿本社に在籍しながら、九州の案件を担当していたわけだから、当然のことながら、頻繁に九州へ出張していた。

僕の会社は某一流企業の子会社で、九州営業所は親会社の九州支社内にあった。
したがって、僕が九州営業所勤務をしているときには、よく親会社の同年代の同僚たちと飲みに行くことがあった。

その日も、九州の客先との打ち合わせのために九州営業所を訪れていた僕は、久しぶりに会う友人の変わり果てた姿に驚いた。

別人のような姿になっていた

その彼は、親会社の営業マンで、僕と同い年の青年だった。
大学時代に水球をやっていたという彼は、がっちりとし体格で、とても明るく頼りがいのあるナイスガイだった。

ところが、その日、数か月ぶりに合った彼は、まるで別人のようにやせ衰えていた。本当に、あの、がっちりとした彼なのだろうか?と疑うばかりの変わりようだ。

僕はその変りように、驚きを隠せなかった。

「どうしたの!?」
と思わず聞いた僕に、彼は力なく笑うだけだった。

ぞっとするようなブラックジョーク

すると、その横に立っていた、彼の先輩がいった言葉に、僕は凍り付いてしまった。

「こいつ、胃潰瘍で入院していたんだよ。
これでこいつも一人前だよ。」
と笑いながら言ったのだ。

いや、もちろんジョークであることは明白だった。
それは僕にもよくわかった。

しかし。。

ブラックジョークというのは、その裏側にある種の共通認識というか、タブーのようなものが無いと成り立たないものだ。

要するに、誰も口には出さないけれど、「病気になるまで働いて一人前」という言葉がジョークになるような土壌が、暗黙の共通認識が、サラリーマン社会には厳然と存在しているということを僕はその時に認識した。

これは恐ろしい世界だと思った。

こんなことがジョークになるんだ。
ありえない。

病気になるまで働いて一人前なのか?

今でも、Twitterなどを見ていると、「若いうちは限界まで働けとか、ギリギリまで、倒れるまで働け」などということを平気で言う人たちがいる。

こういう論調は、僕がサラリーマンをしていたころからもちろんあった。
いや、むしろ、あのころのほうがそういう風潮は強かったかもしれない。

なんといっても、あの有名なキャッチコピー「24時間戦えますか?」などという言葉がもてはやされていた時代だ。

ボロボロになるまで働く奴は偉い。
そんな価値観が、サラリーマン社会には存在している。

僕は、そのことをはっきりと認識したのだ。

そういう価値観を持った人間が、長時間労働を肯定してそこに価値を見出していたのだ。
そして、たくさん残業する人間は、頑張っている人間である。
定時に帰る人間は、もっとできるはずなのにさぼっている。
そういう評価になってしまう。

そして、長時間労働を強要することが、パワハラや過労死の原因になっているのだ。

うすうすとは感じていた。
そういう価値観がサラリーマン社会に蔓延していることを。

でも、その時ほどはっきりと、その存在を感じたことはなかった。
当時僕も、ストレスに苛まれていたいので、その存在をはっきりと認識して、背筋が凍る思いをしたのだろう。

僕たちは何のために働くのか

いったい僕たちは何のために働くのだろう?
少なくとも、病気になるために働くわけではないはずだ。

幸せになるために、生きていくために、誰かの役に立つために働くのではないのか?

なのに何故、病気になるかならないか、ギリギリのところまで自分を追い込む必要があるのだろうか。そこまで追い込むことが、自分の能力を高めてくれるとは、僕には到底思えない。

この件をきっかけに、僕はサラリーマン社会から離れたいと思うようになった。
ここは僕のいる場所ではない。
僕はそう確信したんだ。

だから僕は、会社を辞めることにした。
そして、健康の大切さを訴える仕事に就くことにしたんだ。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!