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誰が質問をしたのかが大切

シンプルな質問は、時として物事の本質を浮き彫りにすることがある。
この前の記事にそういう話を書いた。

誰がどんな質問をするかが大切

この時、「仕事楽しい?」と聞いた人間が、もし会社の同僚だったらどうだろうか?いつもの汚い居酒屋で、いつものように会社の愚痴を言いながら飲んでいるような状況で、僕が「楽しい仕事もあるし、そうでない仕事もある。仕事ってそういうものだろう?」と答えたら、おそらく同僚なら「だよな~、仕事ってそういうもんだよなあ。」という返答になって、「そうだよな、そういうもんだよな。」と、自分のこれまでの嘘に気が付かず、それどころか、この嘘をさらに強化していたに違いない。

ところが、この時に質問をしてきたのが、自分の才能を生かしてある業界でバリバリと業績を上げてきて、本当に本当にギリギリまで頑張って、その挙句に行き詰って自分の仕事について悩んでいる、しかも僕がひそかにあこがれている女性だったわけで。そして、ひとしきりその悩みを聞いた後というシチュエーションで投げかけられた質問だった。

そしてそして、その彼女の反応が「ふーん。。」という、なんとも薄い反応だったことも、僕が自分についた人生の嘘に気づかされる結果となったのだ。少なくとも、その時の彼女は自分の人生の嘘に気が付いていて、そのことで悩んでいたわけだし、そんな彼女に対して表面的な回答しか用意できない自分に気が付いて、自分もまた人生の嘘に気が付いてしまったというわけだ。

だから、誰がどんなシチュエーションで質問をしてどのような反応をするのか、によって、おそらく結果が違っていたのだろうと思う。これが、会話の面白いところでもあり、怖いところでもある。

いづれにしても、僕はこの時から、自分の人生と深く向き合わざるを得なくなったことは紛れもない事実なのだ。

(つづく)


自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!