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バボのキママな日 #7 『脳みその中での会話。』

昨日はバンドの話をした。バンドはいい。
ケミストリーを感じる瞬間はいつだって堪らない。伝わるだろうか?

Nihil Admirariが先日行ったアコースティックライブから一曲。
LA在住のSSWのA Man Called Jackと企画した此のライブ、全編アコースティックアレンジだった為いつものライブとは違った雰囲気で楽しかった。
此の曲『LUX』もボサノバ的リズムを前面に押し出したアレンジで気に入っている。ライブのタイトルが『Dinner With The Returners』だったのでラウンジ・ミュージック的なアプローチを個人的に試みた。コーヒーを飲みながら聴きたくなるような感じになっていれば嬉しい。
あとライブ当日にJackから借りたリバーブペダルがめちゃくちゃにいい音で気に入った。こういう出逢いがあったのも素敵だ。バンドはやはりいい。
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相方も最新の記事で書いていたが、フツウキママを始めてから文章を書くのが習慣化してきている感じがする。僕にとって文章を書くことは思考を整理することに限りなく近い。頭の中に無数にある思考の断片を掻き集めてソートして、一定量の集合体にしたものが文章。
伝わるだろうか?
端的に云い換えると僕にとって文章というものは僕の脳みその中での会話にとても近いと云うことだ。
端的に云えているのだろうか?

口から出る言葉と頭の中にある言葉がいつも同じとは限らない。
裏表がどうこうの話ではない、そこに宿る自己の違いである。
自分というものは、その字面の通り、おのれ(自)を(分)つことで生じるものである。では、自己を何と分つのか。それは時と場合に依る。
人に見せる自己と己が向き合う自己。それがいつも同じとは限らないと云うことだ。
伝わるだろうか?

そして先述した"脳みその中での会話"と云うものはその二つの自己の間で交わされる会話のことである。主観的な自己と客観的な自己を擦り合わせることで見えてくる自分と云うもの。僕にとっての文章はそんな感じだ。

こんなことばかり日常的に考えているから頭が混乱してくることがある。
でも文章にすると思考がクリアになる。文章を書くっていい。自分で後から読み直せる点も素敵だ。そして読み直した時に自分の意見が変わっていてもいいと思う。なぜならその誤差を修正し続けることが己を磨くということだと思うからだ。

なんの話をしているかわからない人もいるかもしれない。
でも誰かに伝わっていれば大変に嬉しい。

今日もフツウキママに訪れてくれてありがとうございます。
おもしろいことを自由にする。それがルサンチメンの信念です。

<バボ>

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