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闇と光のはなし

こんにちは。

二日です。

大学の卒業研究とか論文の作業とかで、全然投稿できてませんでしたが、またぼちぼち再開しようと思います。

またくだらない話にお付き合いいただけると幸いです。

早速ですが、「写真」は英語で「photograph」と言い、この「photo」というのは「光」を意味する言葉です。

写真を撮っていると度々、「写真は光を写すもの」「写真は陰を写すもの」という考えを見かけます。今回はこれについて話すのでなく、「写真」が「光」と「陰」の産物だからこそ考えるようになったことについて話していきます。

そもそも、「光」とはどこに存在しているでしょう。部屋の中を明るくするものや、スマホのライト、昼間であれば太陽からも「光」が出ています。しかも現代は、夜であっても街には様々な光で包まれています。つまり、社会は「光」で溢れていて、とても「眩しい」のです。

では、「陰」はどんなところにあるでしょう。よく、「光があれば陰もある」というような事を耳にしますが、よほど特殊な環境ではない限り、「陰」は「光」があればできるものとされます。まるで「光」が先にあって、後から「陰」が生まれているかのように。

少し角度を変えて、みなさんにとっては、昼と夜、どちらが「ノーマル」ですか。多分昼の方が「ノーマル」、通常だと考えている人が多いのではないかと思います。それは当たり前と言えば当たり前で、人間の活動のほとんどが昼間に行われ、夜は基本的に寝ていますから。昼が通常で、夜は少し別の世界という考え方は、そこまでおかしなものではないと思います。

ですが、ここで考えてみて欲しいのですが、本当に「『光』があるから『陰』ができる」のでしようか。「『光』が通常で『夜』が異常」なのでしょうか。

確かに、昼間太陽が出ていて、街の大部分が陽光に照らされ、一部に陰があると、「陰」のほうが異物のようにも見えてしまいます。

ですが、私は夜、黒い闇と少しの光を見上げて、この空は宇宙と繋がっているんだなと感じます。なぜなら宇宙は暗く、地球の昼間の青空とは隔絶されているような気がするから。夜の方が、地球が存在する宇宙を感じることができます。

そのため、私は「光」の方が異物で、「陰」、即ち「闇」の方が通常であるのではないかと思います。

今でこそ、人間はフィラメントに熱を送ったり、発光ダイオードを使ったりできるようになりましたが、これら人間の発明は、地球にとっては後天的なので「異物」と捉えることができます。では、文明が栄えるもっと前の、木を擦り、火を起こすことで光源を得ていた時代。その火も、人間の発明であることに変わりはありません。次に地球の自然現象としては雷がありますが、そもそも地球が、宇宙より後にできたという点で、これも「異物」と言えます。同様に、地球にとって最大の「光」である太陽も、シリウスもデネブもアンタレスもペテルギウスも、宇宙にとっては「異物」です。そうして宇宙の歴史を遡るように考えていくと、ビックバンが起こる前、最初に存在していたのは「無」という「闇」です。

つまり「闇」こそが全ての始まりであり、普段私たちが昼間に見ている景色は、あくまでも「闇」の上に「光」を塗った「絵画」のような、「本物」ではないものなのだと思います。まさに「白昼夢」。昼間の方が非現実。

そういう意味で、夜の景色というのは、本物の世界により近い姿であると言えます。

話は少し逸れますが、私は最近、「夜」に対してこのように考えているので、夜の写真をとても撮りたくなっています。「夜」を写せば、本当の世界を写真に収めることができそうで、人が少なくなる「夜」を歩けば、自分も周りを気にせず、少しだけ本当の自分でいられるような気がして、今はとにかく夜に出歩いて写真が撮りたいのです。

話を戻して、つまり「闇」は全ての根底にあり、「夜」は、「昼」から「光」というカーテンを外した、「真」の世界なのではないかと、私は思います。

いつも通り話がゴチャゴチャしちゃいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございます。

次回は、今年度で大学を卒業するにあたって考えていることや、大学生活の振り返りみたいなことについて話したいと思います。

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