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泣きたくなった

寂しいと感じた


泣きたくなる時がある。まさに今、この時。
以前に泣くことについての話を書いたが、あれはまた別だ。通常時において、無意識に涙が流れる理由について書いたものだから。
そして今は自覚して、無理やりに、意識的に泣きたくなった。

ストレスを緩和するためか。現実逃避のためか。ただただ、寂しくなっただけだからか。
どうも自分は、とくに自分が感じているストレスに少々頓着をしていない節がある。
自覚してはいけないと思っていたからだろうか。
一時、自分という意識を額縁の外から眺めるように放置してしまっていたからだろうか。
手のひらに感じる何かさえ、薄気味悪く感じてしまう時もあったからだろうか。

知らない。分からない。だが泣きたくなった。
感情によって流れる涙の味は変わるというが、今この時に流れる涙は一体どんな味をしているのだろうか。
悲しいと塩辛く、幸せであれば甘いと聞く。それならば寂しさはどんな味がするのだろうか。

何故寂しくなってしまったのだろうか。
一人で暮らすことに慣れ、むしろ一人で過ごさなければストレスに押しつぶされそうになってしまいそうになる。それは身内に対しても同じで、実家に暮らしていても常に部屋の中で一人、自由に過ごしていた。
だからこれは一人で過ごすことに対する寂しさではないと言える。
それなら何が原因で寂しくなったのかと思った時、思い出した。

父に病気が発覚したと連絡があった。
幸いにして今のところ重大なものではないにしろ、どちらにしても命に係わるほどの病気だった。

手が、うまいこと動かないような気がする。指の先が痺れているような、そんな感覚が今もある。
意識的に考えないようにしているが、あまりの衝撃に何も考えることが出来ないほどなのだと驚いている、と思う。

まだ生きているのだからと思うが、そのまだが後どれほどの時間が残されているのだろうかと考えると涙が出てくる。
もうボロボロだ。
けれども父の近くにいる母がもっとつらいのだろうと思うと、自分が情けなくなってくる。

なんかもう泣くしかないな、と開き直る他ないと思った。
なんせこの場にいるのは自分一人。咎める誰かがいるわけではないのだ。
きっと誰かがその程度でと言うだろうし、それならばすぐにでも帰ってやれとも言うだろう。
全く持ってその通りだし、こうして悲劇の主人公ぶって泣くなんて、どうかしていると思う。

それでも帰ろうとは思っていないのだからなんとも薄情過ぎる。
しかし、けれども、これが自分の距離、だと思う。
物理的な距離はあるが、精神的な距離というのは、まぁ、なんだかんだ近い方かもしれない。自分は、だが。
目に見えないものだし、親はきっと帰ってきてほしいと願っているかもしれない。
けれども誰かと、両親でさえ共に過ごすというのは少々息苦しさを感じてしまう以上、これ以上距離をつめることは難しい。
あんまりに身勝手過ぎる言い訳だが、自分はこういう人間だと開き直る他ない。

薄情で身勝手で、けれども今寂しいと思って、泣きたくなるのは本当だ。
今だけは泣きたい。
泣いて。それで長期の休みを取って、実家に笑顔で帰るつもりだ。
土産は何が良いだろうか。
健康志向の甘い菓子がよさそうな気がする。
酒はもう駄目だろうから。


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