「何で学校行けないの?」がはらむもの

〇誰にでもおこりうる?
30年以上前の平成4年、文科省はすでに「不登校は特定の子どもに特有の問題があることによって起こることではなく、誰にでもおこりうる」という報告をしています。
この「誰にでもおこりうる」というのは、「まさか自分が!」「まさかこの子が!」という経験のある方は実感があるかもしれませんが、一般的には全くといっていいほど浸透していない感覚です。みんなどこかで「特定の子」「特定の家庭の子」が不登校になるのだろうという感覚をうっすら持っているのです。
そして実際に子どもが不登校になると誰もが思うのが「何でこの子は(自分は)学校に行けないの?」ということです。そこには「他の子は行けてるのに」という前提があります。

〇不登校の要因
不登校の要因やきっかけ、状況は多様で複合的、本人もわからないことが多く、その時これが要因だと思ったことが本当にそうかどうかも、誰もわかりません。
明らかないじめや学校での出来事がある場合や、この子は学校への適応は難しいだろうと心配されてきたような場合もありますが、本人もびっくり!だったり、まわりの大人も「まさかこの子が!」と青天の霹靂であることもよくあることです。

不登校の要因を探ることの難しさは文科省の調査にも表れています。

◇令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査等「不登校の要因」(教員が回答)
①無気力・不安 49.7%
②生活リズムの乱れ、あそび、非行 11.7%
③いじめを除く友人関係をめぐる問題 9.7%
 ※不登校の要因の半数が「無気力・不安」⇒原因と結果を取り違えたもの

◇不登校児童生徒の実態把握に関する調査報告書(令和3年)「最初に行きづらいと感じ始めたきっかけ」(小学6年生と中学2年生・複数回答)
〈小学生〉
①先生のこと(先生とあわなかった、先生が怖かった、体罰など) 29.7% 
②身体の不調(学校に行こうとするとお腹が痛くなったなど) 26.5%
③生活のリズム乱れ(朝起きられなかったなど) 25.7%
〈中学生〉 
①身体の不調 32.6%
②勉強がわからない(授業がおもしろくなかった、成績がよくなかったなど) 27.6%
③先生のこと 27.5%

となっています。設問や回答方法が異なるものの、教員に聞いたものと子ども本人に聞いたものがここまで違っているのです。

★不登校になった時、理由を探りそれを改善すればいいと考えがちですが、不登校の要因ははっきりこれだと特定できない場合が多く、それらしきものを取り除いでも再登校できることはあまりありません。背景に「いじめ」や「虐待」「疾患」がある場合などは適切な対応が必要ですが、原因を追究することが本人を追い詰めることになる場合もあります。
子どもには原因探しよりも、まずは無条件で「休む」ことが必要です。


〇「何で学校行けないの?」がはらむもの

「何で学校行けないの?」という問いに含まれている思い

このように「何で学校行けないの?」という問いには様々な思いがふくまれていますが、これらの背景には、そもそも「不登校は問題である(悪い)」という前提があります。その上で、当事者ほと自分を責め、多くの人たちは問題を子どもの中か、その家族に見ており「育て方が悪いからでは?」という批判的な視点が含まれていることが多いです。
よってこの「何で学校行けないの?(他の子は行っているのに)」という話をすることは、差別や偏見や安易なラベリングを生むリスクをはらんでおり、その結果、家庭内外の関係性が困難なものとなりやすく、当事者家族の孤立を生んでしまいます。
そして、このみんながうっすら思っている「親のタイプや育て方に問題があり、そこを改善することで不登校は解消できる。」という考え方が、親の不安を煽って高額の相談支援料を取るような悪質なものを含む不登校ビジネスを成立させています。


〇ではどのように考えたらいいのか
障害の分野に「医学モデル」と「社会モデル」という考え方があります。
・医学モデル→個人的な問題、治療・個人の適応・行動変容を求める
・社会モデル→社会環境の問題、社会全体による環境の変更を求める
医学モデルは問題を本人の中に見ていて、社会モデルは問題を環境側に見ているということです。
先ほどの文科省調査でもあるように、今まで不登校の要因は問題を子どもの中に見る医学モデルで語られることが多かったのですが、不登校の問題を”子どもの中”に見ているうちは根本的な問題解決にはなりません、なぜなら不登校の根本的な要因は子どもの中にはないからです。
不登校の問題も社会モデルへの転換が必要だと思います。

では、その”不登校の根本的な要因”はいったいどこにあるのかについては、次回以降に書いていきます。


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