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自然の循環、生態系システムの上に成り立つ暮らしを分かち合いたい

たしか映画「杜人」の中で出てきた言葉だったように思う。

経済システムに依存した暮らしではなく、
自然の循環、生態系システムの上に成り立つ暮らしをする


自分自身は大学を卒業してそのまま耶馬溪に移住してきたから、ちゃんとした就活や社会人経験というのが乏しい。

なぜ耶馬溪で生きるという選択をしたのかは振り返り始めると色々と出てきてしまうから棚に戻しておくとして、
移住して4年、シェアハウスをしながらいろんなお客さんに来てもらい。
今年の春にシェアハウスを閉じてからも、こんな山奥まで大学時代の友人たちが遊びに来てくれたりして、自分よりもちゃんと社会人をしている人たちの話を聞く機会が多かった。



みんなそれぞれに悩んでいた。

何を持って終わりなのかもよくわからない迷宮を、日々生きている感じ。




自分のやりたいことを理解して、人生を謳歌できてる同世代は、果たして何人いるのだろうか。多く居てほしいけれど、身の回りの同世代だけで見るときっと少数派なんだろうと思う。
SNSでは綺麗に見えていたとしても。いろんな社会の構造や、ひずみ、ゆがみに押しつぶされそうになってない?

なんか息苦しいけど、それが「普通」になってない?



そんな様子を感じ取りながら、自分の中にも共感する部分があって、やるせない気持ちになったりします。
みんな、今どうしてる?ちゃんと生きてる?


そんな社会、そんな時代をどう生きて、
どう次に繋いでいけばいいのかなんて考えてたりする。

考えてみて、
やっぱり根本の原因として思い当たるのは、
「暮らしていくために働かなくては生きていけないこと」

言葉で書くと当たり前だけれど、
今のバランスは経済への依存度が高すぎるように思います。

とくに最近は物価が急激に上がり、
世界的な動向で考えると、すぐに下がることとは思えない。
一方で、給料は上がらず、社会保険や税金の負担は増え、可処分所得はほとんどない人が多いのでは?そうでもない?

自分の人生を豊かにするために働いているというよりも、
家賃や生活費を支払うために会社に通っているような暮らし。

一時でも働くのをやめると、来月の生活費どうするの?と問われる。

まるで自分の「暮らし」を人質に、働くのを強要されているような生きづらさを感じています。


お金がない人はどんどん苦しくなり、一方で補助金や助成金などあるところにはたくさんある。それをうまく活用できる人が「普通」に暮らせる。
とくに地方ほど行政依存体質はあったりして。
立派なお家に住んでいるのは元役場職員の人ばかり。

経済システム自体がアンバランスな現代において、
経済システムに依存した暮らしは、不安定なのではないだろうか。

そうではなく、
もっと大きな自然の循環や、生態系のシステムの上に成り立つ暮らしをつくる。暮らせるフィールドをつくる。
というか、もともと経済が大きくなる前は、各地域に土着の暮らし、その地域で成り立っていた暮らしがあったはず。

便利になったのか、苦しくなったのかよくわからない世界で、
もう一度、土に根差した安定感のある里山の暮らしを再構築したい。



24時間365日ではなく、
自然のリズムで過ごし、暮らせるフィールド。

自立した社会人ではなく、
共存して地域で生きる人を増やす。

人と人、人と自然が相互につながり合い、
柔らかく、血の通った温かみのある経済圏で生きる。




そんな10年後を夢見ながら。

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