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マティス展がヤバすぎた!人間的変容が織り成す芸術作品の変遷

マティス展に行ってきました。

特にマティスについて知っていたわけでも、好きだったわけでもなく、知人に教えてもらっただけです。

ただサイトを見た時、

「ああ、これはすごい。何かあるな」と直観してました。

行ってみたら、直観通りでした。

私にとって『マティス展』とは何だったのか?

私は芸術についての知識もセンスもありません。

ただただ私は、私の全身を使って、芸術と対峙します。

そして私の中で、「その芸術が私にとって何なのか?」を全身で感じ取ろうとします。

芸術を通して、私は私に出会おうとしています。

そうして向き合ったマティス展。それは私にとって何だったのか。

それは「マティスが生きることそのものとしての探求=芸術」であり、「宇宙に存在する緊張と葛藤がマティスを通して統合され自由になった創造的プロセス」でした。

本当に感動しました。芸術に触れて、本当に目が潤んだのは初めてでした。

私が観たマティス展は、次の3つのフェーズの変遷を辿ったマティスの人生そのものでした。

直接的なマティス

マティス展、序盤に出会った作品の一つが彼の自画像です。

自画像 Self-Portrait

19世紀から20世紀の変わり目に描かれた本作で、マティスは疑念にさいなまされている。まだ自分の道を模索している途中だった1898年に師モローが世を去り、支えがなくなってしまったのである。ゆえにマティスは、自己を掘り下げ主張する特権的な手だてである自画像という習わしに挑戦する。

マティス展

非常に直接的で、ダイレクトに打ち響いてくる何かがあります。実際に観た時、なぜか身震いしました。

混沌の中の意思。それはまだまだ粗く、少しドロッとした質感すら伴うものの、嘘なく私の何かを打ち鳴らしたのです。

法律家の道を捨て、20歳を過ぎてから芸術の道へ進み出したマティス。

混沌と不安の中、それでも嘘のない一歩を重ねていこうとするマティスの意思を感じます。

認識の極限で探求するマティス

マティスは、芸術を通して自己を破壊し、自己を発見し続けようとしていたのではないでしょうか。

二度の世界大戦。

どうしようもなく巻き込まれていく情勢の最中で、マティスは逃げることなく、恐れることなく、緻密かつ大胆に過去の自分を殺し、新たな自分を誕生させていきました。そのプロセスが、彼の芸術作品そのものに現れています。

そこには様々な外界を貪欲に吸収しようとする飽くなき探究心と、一方で、吸収した外界を常に「自己」という指針と照らし合わせながら、外界よりも「自己」そのものに寄り添おうとするマティスの首尾一貫した態度も感じます。

そこには外界と内界を行き来しながら自己を確立しようとするどこか血生臭いプロセスが感じ取れるのです。

私が観た、マティス3つの探究項目を挙げてみたいと思います。

空間

マティス作品には窓が繰り返し現われる。そこで窓は「交換器」の役割を果たし、内と外を切り離すよりはむしろ、内外の空間が同じひとつのまとまりであることを明らかにしている。

マティス展
金魚鉢のある室内 Interior, Goldfish Bowl

ここでは窓がアトリエ外界に向けて解放し、結果として2つの領域は混ざり合って「統一する全体」を成している。(略)構図中央の金魚鉢は1912年から13年にかけてマティスが旅したモロッコで見たもので、同じく曖昧な空間性を体現している。周囲の色彩が入り込んできているが、独自の小宇宙を形成しているのである。

マティス展

私たちは何をもってそれを「内」とし、それを「外」とするのか。そういった空間の境界線はどう引かれるのか。内と外はあるのか。それを含んで超える綜合とは何なのか。

そんなマティスの空間探求が垣間見えます。

抽象

マティスの作品を見ると、極限まで抽象度を高めながらも、対象の特徴を消さない瀬戸際でせめぎ合い、その本質を抽出しようとする試みが見えてきます。

白とバラ色の頭部 White and Pink Head
座るバラ色の裸婦 Seated Pink Nude

またマティスは、絵画だけではなく彫刻も用いて探求を行なってきました。

マティスは彫刻を

補足の習作として、自分の考えを整理するため

アンリ・マティス

と説明しています。

(左)背中I The Back I  (右)背中II The Back II
(左)背中Ⅲ The Back Ⅲ  (右)背中Ⅳ The Back Ⅳ

時間とともに単純化・抽象化していくような印象を与えるものの、シリーズとして構成されたわけではなく、同一の母型がくぐり抜ける複数のステート(状態)として考えられた。ここでの主眼はたゆみない探求——身体をまっすぐ立て、垂直性をさまざまに考察し、静と動のバランスを取ること——である。マティスは、人物が背景を取り込みつつも、完全にそこに吸収されてしまわないよう、ぎりぎりのところを探った。《背中Ⅳ》が最終的な解答である。

マティス展

色彩

マティスの色彩には本当に引き込まれます。

何がマティスに、この色を使わせているのか。マティスの目に見えていた世界の色とは・・・?

サン=ミシェル橋 Pont Saint-Michel

(略)色使いはきわめて自由だ。カンヴァスの右半分が塗り残されているため、未完であるようにも見える。

マティス展

実物を見た際、この塗り残された部分から本当に光が差し込んでいるように感じるほど美しかったです。(写真だとどうしてもわかりませんが・・・)

赤の大きな室内 Large Red Interior

壁では筆書きによる白黒デッサンが、あたかも窓のごとく、全体を支配するマティスらしい赤色の中に異なる空間を切り取る。

マティス展

晩年の作品に近づくにつれ、マティスが探求してきた要素要素が融合し合っていきます。

対立を統合し超越的自由の中で踊るマティス

1941年、マティスは手術でからくも一命をとりとめ、本人いわく「奇跡的生還」を遂げる。彼がふたたび切り紙絵技法を取り上げることを思いついたのは、こうして自分が生きながらえた事実に励まされ、新たな活力に満たされていたときであった。

マティス展

この作品群は、それはまるで踊ってました。圧倒的な自由の中で。

その自由とは、対立や複雑性を無視した自由ではないのです。

マティスがこれまで挑み続けた、「空間・抽象・色彩」といった全ての葛藤をエレガントに超えて含む、統合的自由です。

サーカス The Circus
(上)白い像の悪夢 The Nightmare of a White Elephant    (下)馬、曲馬師、道化 The Horse, the Circus Rider and the Clown
(上)狼 The Wolf  (下)ハート Heart

この作品群を目の当たりにした時、本当に感動して涙ぐみました。

マティスの人生を通した探求が、「ジャズ」という名前の通り、今こうして即興的に自由に踊り、喜びに満ち満ちている。

マティスは生死の境を超えて、自身の身体すら抜け出たのかもしれない。

身体を通しての認識を越え出た精神があったからこそ、複雑性を簡素に含み超えする自由が現れ出たのだと思います。

マティスの魂はこうして自由を得たのかもしれません。

結実した終わりなき芸術探求

マティスは晩年、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂を手がけます。

円形装飾《聖母子》を描くアンリ・マティス

実に野心的なプロジェクトであり、途方もない準備作業が必要とされた。複数の技法——デッサン、彫刻、切り紙絵——を駆使しつつ、マティスは光、色、線が一堂に会する空間を作り出すことを企図。

マティス展

マティス展の最後、そこにはこう記されていました。

いまも続く探求の果てに私が選んだのではなく運命によって選ばれた仕事である。

This is not a work that I chose, but rather a work for which I was chosen by fate, towards the end of the course that I am still continuing according to my research.

アンリ・マティス 1951
Henri Matisse

マティスが選んだのではなく、マティスが選ばれたのです。

マティスが作ったのではなく、マティスを通してそれは作られたのです。

あらゆる「私」を超越した先の芸術探求。

決して自分に嘘をつくことなく、自己を破壊し変容し続けた者にしか語れない言葉がそこにはありました。

終わりに

興奮してカタログも買っちゃいました。

でもですね、開いてみて、ちょっとがっかりしたんです。

写真からは、実物の作品が待っていた躍動感、生命感が全く語りかけてこないのです。

これはどうしようもないことですが、やっぱり残念で寂しく思いますね。

もう一度、マティスを感じに足を運びたいぐらいです。

ぜひ皆さんも、実物と対峙して、マティスに出会ってほしい。

確実にあの場所に、マティスはいましたね。

こうして私は、まんまとマティスファンになりましたとさ。

おわり

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