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ぱちぱちと弾けるような


30年以上生きてきて
自分発信で「この人素敵だ」と思った男性が100発100中で既婚者だったので
何も進展することはなく、好きな人との会話といっても仕事中の雑談くらいしか経験してません。無念。

それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、
なんとなくで付き合ってきた人との記憶よりも
やっぱり自分の気持ちが傾く人とのやり取りの方が
胸がきゅーっとなって、でも温かくなるような
そんな記憶として残っています。


私は30歳のとき、年下の男性と付き合っていましたが
とにかく幼い人だったので会話が成り立たず別れるに至りました。
そのタイミングで考えました。
もし、私が今後結婚や出産をしたいのならばおそらく
ここで”婚活”なるものをするべき年齢だろう。
私は果たして、それをしたいのかな?と。

答えはあまり考えずとも出ました。
私は結婚も出産も現時点であまり関心がなく
一生しなくても全然オッケー。
する人生も楽しそうだけど、相手による影響が大きすぎて
今の私には当てもなければ、そういう稀有な存在と出会うために時間を費やす気力や意欲が足りなさすぎる。


そうやって、自分の今後の方針を決めたことで気づいたことがあります。
それは、私は自分が思っていたよりも
結婚や出産をしなくてはいけないものと考えていたのです。
その証拠に、「よし。もう自分の人生の計画に結婚する”かもしれない”とか出産する”かもしれない”の予定を入れずに生きていこう」
と決めたとたん、ものすっごーーーーく肩の荷が下りた感覚になったのです。



そこから私の脳内では、結婚・恋愛に関する興味がまっさら白紙状態になり、考えることすらなくなりました。

それでも最近、セブチを推してて感じたことがあります。
(やっとセブチの話になった)

あー恋する感覚っていいものだったよね。と。


”推し”という存在は神様の一種のようだと感じます。
神棚に祈るような気持ちで、今日もありがとうございます。
と推しに対してひたすら感謝の気持ちを持つ。
存在そのものが自分自身の指針や支えになったりする。
そういった意味で。

だけどやっぱり、恋愛に似た要素も感じます。

セブチの全員が好きですが、
どうやら私の最推しはスングァンに落ち着きそうで
最近はもっぱらスングァンのウィバラを聴きながら寝落ちする日々。
しあわせ。(怖)


私がもう一つ沼入りしているのがバンタン沼なのですが、
我が最推しユンギさんの沼って、
頭まで浸かって、やや呼吸も苦しいし、仄暗いんですよね。
(かなり主観です。ユンギペンみんなこうじゃないです)
私の人生すべてこの人に持っていかれてもいいわ。
自分を投げうって全面降伏、絶対服従的な。それがミンユンギ沼。
(主観です…)


でもスングァンを好きになる感覚って
私の中では弾ける炭酸なんです。
(ちなみに炭酸は舌に激痛が走るので飲めません)

ぱちぱち弾けて、あー気持ちがいいな。
私この人のこと大好きだなー。って感じて
そこには不安がない。

息苦しくも仄暗くもなくて、狂ったようにテンションが上下することもない。(違うよ。ユンギさん、違うって。)

むしろ呼吸がしやすくなって、身体の力が抜ける。

そういう感覚を最近、スングァンを推す中で感じまして
あれ?なんかこれ昔々も感じたな?
あーそうか。私も自分から誰かを好きになるとき
こんな感覚を持っていたなあ。って思い出せたのです。

私は、恋愛から離れてしまって無関心になっているけど
人を好きになる感覚っていいものだったよね。って。


まあ、だからといって
というわけで婚活します!とは思っていなくて…

ただ、恋愛いーらない!と極端な選択をすることで確かに楽にはなれるんだけど、恋愛って本来楽しいもの。という感覚を忘れてしまうのは少しもったいなかったのかも。と思って書き残すことにしました。

スングァン、あなたの魅力が私に恋愛の楽しさ、好きな人ができることの心地よさを思い出させてくれたよー。ありがとう!


こう考えると別に、30歳になったからって
自分の方針をはっきり決める必要はなかったのかもなあ。
それこそ「年齢」や「世間」に踊らされてしまっていたのかもなあ。なんて反省。

周りに何か言われたとしても
「そういうことは起きてから考えるよ!」でよかったのかもね。笑
よし。今度から、そうしよっと!


ぱちぱち弾けるような恋をして
ただ穏やかにお互いを思いやる
そんな恋愛に出会える未来があっても、きっと楽しいね。







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