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自分はクズだと思った方が楽な理由


連日自分の今後について考えている。
自己肯定感やら、自分を応援するやら考えると
自分を好きで居る理由を探してしまう。

理由なしで肯定することが、自分を愛することになると頭でわかっているのに

過去を振り返ると、私が一番自分を肯定できていた時期、
私はクズだ。という意識が根底に合った気がする。

私はクズだから努力しないと好かれない。
見た目にも気を遣わないといけないし、
誰よりも相手の立場に立って考えるように意識しないと
誰も自分と親しくしてくれない。

そんな風に考えていた。
でもそれが苦しいと思ったことはなくて、だからこそ誰よりも努力する自分を誇りにも思っていた。

今もそう。自分のことを素敵だとか好きだとか思うより
私はクズだからな。と思って底辺から這い上がる気持ちで生きる姿を想像する方がずっと楽。


私にとって
自己肯定=無条件で自分を素晴らしいと思う
ではなくて
自己肯定=ダメな自分も仕方ないと認める、そしてその上で変えたい部分は努力する
こっちが合ってるのかも。


加えて、
承認欲求ばかりで生きることは苦しいけど、やっぱり人は誰かに認めてもらわないと生きていくのがしんどくなるので

自分のダメさを認める(自己肯定)→変えたい部分について努力する→その結果、頑張りを誰かが認めてくれる(承認欲求が満たされる)

この順序で満たされていくものなのかな。


ダメでもいいんだと思ったら少し楽になった。
ダメなままでもいいし、そのうえでやっぱり自分が生きづらいとか
自分が好きな人や尊敬する人のように生きてみたいとか
そんな風に思ったら、努力して変えてみればいいんだ。

私の人生の良し悪しや、私に今何が必要なのか
どんなふうに変わった方がいいのかは
全部私にしかわからないし、私に決める権利があるんだ。


今の私に足りないもの
①自分を客観的に見る視点
②状況が悪いと感じたときにすぐに切り替える行動力
➂軸になるような欲


クズはクズなりに自分のこと好きになれるよう努力して生きましょう。

私の大好きな人だって、元からそういう人だったかは分からない。
だけどもしその人が、素敵な人になるために努力を重ねてきたのなら
その方がずっとかっこよくて、好きだよ。


頑張りましょう。生きてみましょう。
何も叶わなくても、思い通りでなくても、消えたい夜が来ても
私は絶対に生きることを諦めない。

生きなくちゃ、せっかくこの世に生まれたんだから
楽しまなくちゃ、いつ終わるのか分からないんだから
辛いことより、楽しいことが
嫌いな人より、好きな人が
悲しい思い出より、綺麗な思い出が
我慢より、挑戦が
多い人生の方がいいよね?そのくらい単純で大丈夫だよ。







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