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エターナルズをほめる


注意

このレビューではなるべるネタバレを避けているが、必要に応じて起・承・転までの展開について触れる。最後の結末については書かない。

MCUにハマっていない

MCUはインフィニティ・ウォーまでは全部観たが、どんな話か全く覚えていない。
ちなみにスターウォーズも9作目まで観たが、どんな話か一切覚えていない(注1)。

ただその理由について、ここに書くことはしない。楽しめなかったものについて言語化したところで、人を説得することは難しいと思う。

その代わりに「エターナルズ」を楽しめたことについて書いてみる。これも同じく主観の問題なので誰かを説得することはできないが、愛の言葉にはそれだけで意味があると思う。

(注1) 個人的に、”その映画を楽しめたかどうか”と”どんな話か覚えているか”には因果を感じないが、一番毒のない指標と思ったので例に挙げた。

フェルメールブルーとしての砂漠

この作品の監督はノマドランド(2021公開)で話題となったクロエ・ジャオである。
アカデミー監督賞と作品賞を受賞したそうな。アジア人かつ女性が監督賞を取るのは初のことらしい(注2)。


ノマドランドの内容については触れないが、これを見た誰しも印象に残るのはアメリカの荒涼とした砂漠だと思う。↓こんな感じ

ポスターでは砂漠というより牧場だが、まあ細かいことを気にしてはいけない。


ここでエターナルズのポスターと比べると、

人数多いな。

なんとなく似た印象がないだろうか。「エターナルズ」のポスターでは逆光が使われているが、「ノマドランド」の劇中でも多用されている(注3)。

ちなみに他のMCU作品のポスターは、こんな感じ。

白い巨塔の回診フォーメーションが多い。あるいは渡り鳥。

「エターナルズ」のポスターは例外的であることがわかると思う。

逆光を使っているのは何もポスターだけではない。「エターナルズ」は自然の中のロケが多用されているが、中でも砂漠のシーンは多く、たいてい逆光である。

逆光でシルエットを切り取ることで人工的な衣装や化粧の印象が消え、自然なケモノ感、動物感が強調される効果がある。例えばこんな感じ。

↑ライオンキングってこの構図好きだよね。
↓動物だと特に体毛のゆらめきが目立ったりして、効果が著しい。と思う。0:24,0:42,1:09,1:27など


「エターナルズ」では、ヒーローたちはボディスーツ(後述)を着る必要があるらしいが、逆光を使うとその”衣装感”がうまく薄まっている印象を受ける。

そんなわけで、監督が「ノマドランド」においてアメリカの大きな砂漠にいる人間を撮影するのに多用した逆光を、「エターナルズ」でも効果的に使っていることがわかってもらえたかと思う。

ちなみに逆光に限らず「ノマドランド」との類似点はいくつかある。例えばエターナルズのリーダー、エイジャックおばさんはアメリカの砂漠で小屋暮らししていて、「ノマドランド」の主人公おばさんとかぶる印象。

さらにセルシイカリススプライトがその小屋に向かうときの、砂漠の真ん中で車を走らせるゴキゲンなシーンもまた非常にノマドランド的である。オリュンポスの神々がシートベルトを締めて移動するシーンなんて見せる必要はないはずなのにわざわざそれを撮影した理由とはなんだろうか。

理由があったにしても、それが単純に監督の”癖”あるいは”サイン”だったとしても、映画のディティールに対して監督の権力が十分働いていること自体、映画制作のプロセスとして健全であるように思う(注4)。


(注2) 女性初は「ハートロッカー」のキャスリン・ビグロー、アジア人初は「パラサイト」のポン・ジュノだそうだ。
(注3) 公式サイトのちょっとした映像にも逆光が使われている。
(注4) 「エターナルズ」と「ノマドランド」の製作は並行して行われていたので、マーベルは彼女がノーベル賞を取る前に信用していたということになる。


主題の軽さ、クレヨンしんちゃん的であること

社会派映画の説教ならいざ知らず、娯楽映画に紛れ込む説教は、トムヤムクンに入れたパクチーのようにどんなに薄めても違和感を消すのは難しい。

製作者がその問題について深い理解を持っていて、なおかつシナリオに溶け込ませる技術を持っていない限り、表面的、ノルマ的、チェックポイント的な説教に終わってしまう危険は大きい。

この映画も一見すると啓蒙的であるが、実はそうではないことを説明したい。

まずこの作品のヒーロー集団であるエターナルズはそれぞれ個性的な能力を持っていて、戦い方はさまざまであるという設定について。

よく似た「XMEN」シリーズでは能力を持つ子供たち(ミュータント)は社会から迫害される事による葛藤が主題の一つとなっているが、”一人ひとりの個性はうまく生かせば素敵なものである”という教訓は、厳しくいえば陳腐である(注5)。

その点エターナルズは神々として人間から尊敬すらされることはあっても、その能力のせいで社会的に苦しむ弱者を代表するような描写はない。耳が聞こえないヒーローや性的にマイノリティなヒーローもいるが、別に彼らはそれを元に(少なくとも映画内の描写として明に)苦しんでいない(注6)という点は、ミュータントとの決定的な違いである。

次に思い当たるのはこの映画のシナリオ上の芯となる”人類の知性が十分成熟した時点で、宇宙の存続に必要な栄養分として吸収され滅ぼされる”という設定のことである。

一見すると脱成長論(あるいは反成長主義、あるいは反資本主義)のことかと考えるが、よくよく考えると辻褄が合わない。

そもそもこの映画の人類に選択肢はないからだ。確かに技術を得た人類が戦争をする描写はあるが、それは技術を持った人類は戦争をしてしまう動物だというだけのことであり、エターナルズのメンバーであるファストスが技術を提供したのが原因である。

人類を導き、進化させてきたのは常にエターナルズであって、人類が主体的に間違った選択をしたということではない。エターナルズが人類ではないという設定のおかげで、彼らの葛藤は私と関係がないのだ。

一見すると教訓まみれの映画だが、なるべく人のせいにする気持ちを持って臨めば気軽に楽しむことができて、娯楽映画として優秀と思える。


(注5) 主題が陳腐だから作品の質が低いということはない。「浦島太郎」も「猿かに合戦」も、作品の質が低いという事はないのと同じ。ただこれが主題でなくなると急にノルマ化して、視聴者としては冷めると思う。
(注6) 自分が性的にマイノリティであることで苦しんでいないし、かといってシナリオ上別にそれを生かすわけでもない、という共通点でなんとなく思いつくのはかつてのクレヨンしんちゃんに出てくるオカマだった。
クレヨンしんちゃんに出てくるオカマは明に啓蒙的ではないが、自然に(?)共生しているという点で暗に啓蒙的だとするなら同じ意味で「エターナルズ」も暗に啓蒙的であると思う。笑い物にしているという意味ではかなり異なるが。
ところでエターナルズのスーツは俳優との契約のためか顔だけはあらわになっているのがギャグっぽくて面白い。オトナ帝国のひろしSUNのようだった。

当時腹が爆発するくらい笑った映画
公式の予告映像から。静止画だとまだ自然かもしれないが、動くと本当に面白い。


キューブリックファンは左右対称に弱い

この作品中には「2001年宇宙の旅」を中心としたキューブリックのオマージュと思しき点がいくつもあるが、それを文字にするのは無意味かつつまらないので省略する。

それにそれらが本当にオマージュかと言われると、ファン心理によるバイアスを取り除くことはできないので、アイドルに目線をもらったことを主張するのと同じことになる。

小ネタ備忘録

個人的に笑ったところ

  • 仁王立ちで目からビーム、何度もやってたけど毎回笑った。

  • ラスト付近、セルシが宇宙に飛んでいくところ。慣性が働いていないのが逆に安っぽくて笑った。

  • ヒーローのスーツ。先述の通り。

  • 女性ヒーローはきちんと化粧して、男性ヒーローは髪と髭を整えているところ。生活感があって笑った。これはこの映画に限らないかな。

  • オリュンポスの神々も色恋するんだな、とふと冷静に突っ込みたくなる。ただこれはむしろ人間の愛がオリュンポスの神から輸入されたと考えると納得した。

  • 原爆が落とされた広島でファストスが技術を与えたことを後悔するシーン。ここだけは表面的で陳腐だった。世界中飛び回る映画で唯一日本が登場するシーンがポリコレの餌というのが面白かった。

まとめ

ロケの多い撮影で監督の得意技が十分生かされていて綺麗だった。
神々が罪を背負ってくれるので人間としては軽く見ることができた。
キューブリックファンにとってこじつけポイントのあるショットが多かった。

だいたいこんなところで、楽しかった。




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