見出し画像

コニシ木の子さんへのラブレター

noteに投稿を始めて1ヶ月と少し。

昔から何か書きたいと思っていた。
そして、それとは別に私にはどうしても書かなければならないものがある。

書かなければならないものは壮大過ぎて、何から手をつけていいのかどう書けばいいのか、まだ分からない。
でも気付いたことがある。 
何でもいいから書く。
書かなければ始まらない。


最初に書いたのはマウスピース矯正のブログ。
同じように矯正をしている人、矯正しようか迷っている人、が読んでくれたらいいな。そういう気持ちだった。

そんな時、ある人の投稿を読んだ。
その最後にこう書いてあった。

なんのはなしですか

自分でなんのはなしですか?と思う事
他人になんのはなしですか?と思われる事
全部書いていいんだ。
誰かに何かを言われようと、何を書いてもいいんだ。

目から鱗が落ちた。 


なんのはなしですかを追って行くとコニシ木の子さんと言う人に辿り着いた。
なんのはなしですかのタグが付いているものをすべて回収し、なんのはなしです課に掲載するらしい。

その人の年齢も性別も素性も分からない状態で私はなんのはなしですかと書いてみた。

するとメッセージが来た。

この時、勝手に女性だと思っていた。

誰かからメッセージをもらったのは初めて。ドキドキして、興奮して、嬉しかった。
そして記事に書かれていたように、本当に回収された。

その日から
何かを書けばコニシ木の子さんが読んでくれる。
何かを書けばコニシ木の子さんが回収してくれる。
その安心感に包まれ、書く事に躊躇いが無くなった。

大事なのは、どんなことでも「書きたい」と思ったことを記すことが出来て、投稿することです。そこから先はまた別の話です。書くことに資格などありません。

三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。/コニシ木の子


書くことが楽しくなった。
書きたいと思うことが溢れて来るようになった。
変な夢まで見るようになった。

「なんのはなしですか」という言葉は、人の日常や日々思うこと、創作も含め、普段言えない、書けない悩み、そしてどのジャンルの作品にでも使え、喜怒哀楽を表現出来て、どこまで本当か嘘かもハッキリしなくてもいい「魔法の言葉」だと心から信じていたからです。

三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。/コニシ木の子


なんのはなしですかは魔法の言葉

確かにそうかもしれない。
でも、このno+eの路地裏で「なんのはなしですか」を魔法の言葉に仕立てたのは、コニシ木の子さんだ。

その言葉の力を信じ、ひとりで毎日なんのはなしですかのタグを回収し、回収した全ての記事にコメントを残し、そして週末キャンプに行っても、腰が痛くても、夜眠れなくても、月曜日にはなんのはなしです課通信を発信するコニシ木の子さん。

なんのはなしですか」と言う言葉が凄いのではない。
その言葉に魔法をかけたコニシ木の子さんが凄いのだ。

「なんのはなしですか」をコニシ木の子さん以外の人が広めようとして、ここまで広がっただろうか。
コニシ木の子さんだからここまで広がったのだ。


私の心境はだんだん変化していく。
なんのはなしですかを書きたいというよりもコニシ木の子さんに読んでもらいたいから「なんのはなしですか」という内容の話を書く。

私の投稿は全て、コニシ木の子さんへの一方的なラブレターだ。


私の背中を押ししてくれたなんのはなしですかコニシ木の子さんには本当に感謝しかない。

でもいつまでも甘えていてはいけないと思う自分がいる。
恋にはいつか終わりが来るものだ。

なんのはなしですかのタグをつけるとコニシ木の子さんの仕事が増える。
貴重な時間を奪ってしまう。

コニシ木の子さんに矯正の進捗を報告したり、もっさりとのデートに付き合わせたり、痔の話をしたり、うんこの館の話を押し付けたり、そんな事でいいのだろうか?


いつになるか分からないけど、コニシ木の子さんから
「なんのはなしですか?は?!どう言うつもりですか?意味がわかりません!」
と怒りのコメントが来た時、それは私が本当になんのはなしですかを書けた時だと思う。

そしたらこの恋を卒業しよう。

そして本当に書かなければならないことに取り組みたい。


なんて言いつつ、絶対「なんのはなしですか」のタグはつけるけど。

勝手にプロフィール画像を使ってごめんなさい

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?