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「友だちを遊びに誘うのが怖い」ゲームに対する親の対応が子どもに与えた影響【全文公開】

 小中高の12年間で、友だちを遊びに誘ったのは1回だけ――。そう語るのは、不登校経験者の古川寛太さん。友だちを遊びに誘うことが怖くなってしまった背景には、ゲームをめぐる親の教育方針が大きく関係したと古川さんは語ります。友だちと遊ぶことに「後ろめたさ」を感じるようになってしまった理由とは。

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人を誘うことが小さいころからとても「苦手」だった。小中高の12年間、誰かを誘って遊んだことは、記憶にあるかぎり1度しかない。それも、内心とてもドキドキしていたことをおぼえている。「苦手」という表現は、どこか「しかたがないもの」として、自分が抱える責任から逃れている気がする。「怖かった」と表現するのが正解だろう。俺は人を誘うのがずっと怖かった。そもそも小心者でプライドが高いことは前提として、もう1つ、大きな要因があった。それは「ゲームを持っていないこと」だ。

 小学校に入学して以降、とても仲よくなった友だちがいた。よく遊んでいたのだが、すこしずつもうしわけなさを感じるようになってしまった。就学とほぼ同時期に任天堂DSやWiiが流行した我々の世代、クラスはつねにゲームの話題で盛り上がっていた。「ポケットモンスター」、「トモダチコレクション」、「どうぶつの森」など、俺が知らないゲームの世界で旅をしている彼らの話を、休み時間のたび、いつも横で聞いていた。また、カードゲームも流行っていた。小学校に上がる前はいっしょに砂場やブランコで遊んでいた公園で、友だちは「デュエル・マスターズ」に興じていた。

「ダメものはダメ」 

 しかし、俺はこれらを1つも持っていなかった。友だちからは「親に頼めばいいじゃん」とよく言われていた。教師である父が5年前に買った2階建ての一軒家。自分の暮らしが比較的裕福であることには気づいていた。長男の俺を含めた3人兄弟に、ゲーム機やカードデッキの1つや2つ、買い与えることはできたはずだ。ただし、ゲームに関しては両親ともに取り合ってはくれず「ダメなものはダメ」の一点張り。俺は懇願することを早々にあきらめた。

 友だちは気を使い、俺もいっしょに楽しめる時間をつくろうと工夫してくれた。携帯ゲーム機に内蔵されている「うごくメモ帳」のおもしろい動画を見せてくれたし、ポケモンのレベル上げを任せてくれたりもした。チャットシステムを使った鬼ごっこでは、俺だけ当時の最新機種だった携帯ゲーム機を持った友だちとペアで逃げるルールにしてくれた。ありがたい一方、やっぱりもうしわけなかった。俺の存在によって、ルールやその場の空気がどんどん変わっていく。まわりに気をつかわせているのが、幼いながら手に取るようにわかった。渇望によるプレイを求めていた童心は、小学2年生の8歳になるころには、「モノ」にも「ヒト」にも後ろめたさを感じるようになってしまっていた。(つづく)

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