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仏教に信仰はない:アルボムッレ・スマナサーラ長老のお話要約。

スマナサーラ長老が仏教における信仰について深く掘り下げています。以下にその要点をまとめます。

  1. 信仰とは何か: 初期仏教の立場では、「信じる」という言葉には一般的な「belief」と宗教的な「faith」の二つの意味があります。この講演では「信仰」とは、あいまいで曖昧なものであり、神様や呪術、祈祷、迷信などを信じることを指します。信仰は確かめることができないものであり、例えば神様の存在を証明する方法は存在しません。

  2. 信仰の特徴と問題点: 人々はさまざまな信仰を持っていますが、それらは正しいかどうかを明確に整理することはできません。例えば、日本ではほとけ様を信じる信仰がありますが、その内容は明確ではありません。また、西洋では神様を絶対的に信じる傾向があります。また、呪術や祈祷などの宗教活動も信じられていますが、それらの効果や理由は証明することができません。

  3. 信仰と証拠: 信仰とは、証拠がないものを信じることです。例えば、頭痛がある時にバファリンを飲むと頭痛が治ると信じる必要はありません。これは事実であり、証拠が存在します。また、勉強しないとバカになるということも証拠に基づいています。しかし、信仰にはそれらのような証拠は存在しません。信じる理由を証明することはできないのです。

  4. 信仰の否定: 信仰は騙される可能性があり、確証を持つことができないものです。私たちは、信じることによって心の安らぎや成長を求めるかもしれませんが、ブッダの教えでは信仰の否定が示されます。信じることに盲目的に従うのではなく、自己の疑問や理性を持って考えることが重要です。

  5. 疑いこそが真理に導く: スマナサーラ長老は、仏教において疑念こそが真理への道であると主張しています。お釈迦様がある町を訪れ、人々の教えや信仰についての議論を行いました。人々はお互いに異なる信念を持ち、それぞれの教えが正しいと主張しました。しかし、仏教は他の教えを否定するのではなく、疑いを持つことが重要とされています。

  6. 真理の探求: 釈迦は「私たちは他人の話にはまったく耳を傾けません。なぜなら、はっきりと正しいかどうか分からないからです」と述べました。そして、「疑うことこそが素晴らしいことであり、真理を追求する手段である」とも語りました。

  7. 信じる方法ではなく、物事を理解する方法: 釈迦は「私の言葉を信じなさい」とは言っておらず、むしろ「認識論」について語ったのです。そして、やってはいけないことをいくつか述べました。神の言葉や伝統を真理の基準にしない理由、伝統的な知識を真理の基準にしない理由、テキストの真理への誤解などが挙げられています。

  8. 自己の意見と真理の関係: 自己の意見に合わせて真理を判断することはよくありますが、それは真理ではありません。自己の意見に同意するだけで、「その通りだ」と飛びついてしまうことがあります。しかし、嘘は嘘であり、真理とはなりません。そのため、自己の意見も一旦置いておくべきです。

以上の内容から、仏教における信仰とは、個々人の信じる意味合いや理由に基づくものであり、証明可能性がないという特性を持つと言えます。また、信仰は騙される可能性があり、確証を持つことができないものであるため、信じることに盲目的に従うのではなく、自己の疑問や理性を持って考えることが重要とされています。

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