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AIは視覚視聴者/ロボマインドプロジェクト【まとめ】

これ、何か分かりますか?これは僕の脳内です。脳細胞にどんなイメージが保存されているかを並べたマップになっている。例えばこの辺で動物を考えている。ここは犬だ。犬というより犬っぽいイメージだ。いろんな動物のイメージが出てきた。ここはカエルから蛇だろうか。鼻のつぼみのようなものや、パインの種のようなものも出てきた。いや、人っぽいかもしれない。なんか顔が怖いな。これが僕の脳内だ、というのは嘘だ。今の動画はアクティベーションアトラスといって、ニューラルネットワークが何を見ているかを可視化したサイトから撮ってきたものだ。GoogleとOpenAIが公開しているものだ。具体的に何をしているかというと、100万枚の画像をCNNと呼ばれる畳み込みニューラルネットワークで学習させている。ここでいう学習というのは、画像の中で繰り返し出てくるパターンを特徴として抽出することだ。一つのニューロンが一つの特徴を学習する。例えば、あるニューロンは縦線に反応し、別のニューロンは犬の耳に反応する。特徴は多次元ベクトルで表現され、それを可視化してマップにしたのがアクティベーションアトラスだ。これは脳内の形態認知と同じで、視覚にはいろんな形に反応するニューロンがあり、人はこれを元に物を認識している。だから、アクティベーションアトラスが脳の中身というのは、あながち嘘ではない。

今回の話題はその先だ。イメージの処理は右脳が担当している。一方、左脳は言語や理論的思考を担当している。右脳と左脳の根本的な違いは何か。これが今まで分からなかったが、今回アクティベーションアトラスを見て分かった。これが今回のテーマだ。アクティベーションアトラスは100万枚の写真を学習し、その中身をマップで示したものだ。学習したのは画像の特徴、つまりそれっぽさだ。例えば、犬っぽさを学習している部分や、動物のモフモフ感を学習している部分がある。モフモフした動物を見て可愛いとか、撫でたいと思うのは、このモフモフニューロンが反応しているからだ。蛇っぽさを学習している部分もある。気持ち悪いと感じるのは、これらのニューロンが反応しているからだ。生まれてから今まで見てきたものから、様々な画像特徴パターンをニューロンが学習している。そして、例えば犬を見た時に、このニューロンが10%、あのニューロンが3%と重ね合わせて、今見えている犬に当てはめている。それを感じて「あ、犬だ」となる。これは視覚だけでなく聴覚も同じだ。例えば、メジャーコードの曲を聴けば楽しくなり、マイナーコードの曲を聴けば悲しくなる。これもメジャーコードやマイナーコードに反応するニューロンがあるからだ。コードの他にもリズムやメロディーも特徴パターンとしてニューロンが学習している。黒人っぽいグルーブ感に反応するニューロンや、サザンオールスターズっぽい曲に反応するニューロンなどがある。複数のニューロンが同時に反応して複雑な感覚を作り上げる。音楽や絵画を担当するのは右脳だ。

第462回では、左脳が損傷しても作曲や絵を続けたり描き続けたアーティストの話を取り上げた。おそらく右脳にはいろんな画像や音のパターンに反応するニューロンがある。僕らが見たり聞いたりして感じている世界は、そんなニューロンが反応することで作られている。右脳がいろんなパターンで世界を認識するなら、左脳は何をしているのだろうか。左脳が使うのは言語や理論的な思考、抽象的な概念だ。このチャンネルでもよく取り上げるアマゾンの未開の民族ピダハンは、時間という概念を持たない。亡くなった家族を思い出したり将来のことを心配することもなく、今現在のことしか認識しない。色や数字を表す言葉も持たない。しかし、色が分からないわけではない。例えば、赤色なら血の色、青色なら熟していない果実の色といった具体的なものを使って表現する。数字は3までしか認識できず、4以上は全て「たくさん」だ。これらの時間や色、数字は抽象概念だ。

具体と抽象の違いとは何だろうか。例えば、数で考えてみる。リンゴが3つあって「3」と言う。ボールが3個あって「3」と言う。こういった経験を通して、「3つのものがあれば3」ということを理解するようになる。多分3個くらいまではパッと見て何個かすぐ分かる。これは画像パターンで認識しているからだ。しかし、5個や6個がバラバラに置かれるとパッと見て分からない。ここからは画像パターンではなく、数を認識する別の方法が必要になる。それは一つずつ数えることだ。つまり、1個ずつ増えるという規則を使う。こうした数の規則がある世界を数学世界と呼ぶことにする。時間や数字などの抽象的な概念を扱うのが左脳だ。現実に存在し、目で見たり手で触れるのが具体だ。3個のリンゴが具体で、そこから個数の「3」を取り出した数が抽象だ。数字は現実世界で手で触る存在ではない。では、どこに存在するのか。それは数学世界だ。現実世界とは別の抽象的な世界を扱うのが左脳だ。

自然界には純粋な直線は存在しない。なぜなら、直線の定義は真っすぐで太さがない線だからだ。紙に引いた直線は必ず太さがあるので、純粋な直線とは言えない。純粋な直線があるとすれば、それは頭の中だけだ。直線が存在するのは、いわば数学世界だ。数学世界には直線や円といった概念が存在する。現実世界で見ているのは、紙の上に投影した概念としての直線や円だ。数字も同じだ。「5」や「10」は概念で、現実世界では5個のリンゴ、10個のボールといった具体的な形で現れる。現実世界に存在しない概念を扱うのが左脳だ。この視点で考えると、右脳と左脳の違いがより深く理解できる。右脳が扱うのは画像のパターンや音のパターンだ。画像パターンは目で視覚し、音のパターンは耳で聴覚する。現実世界は、視覚できるパターンの組み合わせで作られている。それを扱うのが右脳だ。大量のパターンを使って現実世界を認識するのが右脳だ。

左脳が扱うのはパターンではなく、数字や形といった概念だ。重要なのは、1や2、直線といった概念に名前や記号がつけられていることだ。記号化することで、左脳は概念を操作できるようになる。例えば、「1 + 2 = 3」というように、数字という概念を足したり引いたりできる。一方、右脳はパターンを認識したり操作することはできない。右脳が処理しているのは、蛇柄パターンやニョロニョロパターンを組み合わせて蛇だと認識することだ。組み合わされた結果を一瞬で感じる。一度感じたものは、感じ方を変更したり操作したりできない。メジャーコードの曲を悲しく感じることはできない。これが右脳の処理だ。右脳にあるのは、今この瞬間感じたものだけ。だから右脳には過去や未来はなく、今を感じるだけだ。

一方、左脳が使うのは抽象的な概念だ。それは感覚器で直接感じるものではなく、概念を記号化したものだ。記号は感じるものではなく、操作するものだ。左脳が行う記号操作、これが思考だ。記号操作は現実とは別の世界で行われる。例えば、数学世界では数字を足したり引いたり操作する。その他の世界の例として、所有権世界を考えてみる。所有権世界は、物の持ち主という概念を扱う世界だ。所有権世界を理解しているから、物をあげたりもらったりという言葉の意味を理解できる。畑の作物を勝手に取るなと猿にいくら言っても理解できないのは、猿は所有権世界で考えられないからだ。山で木の実を食べるのと、畑の作物を食べるのとの違いが理解できない。具体的な世界しか認識できないから、山の木の実も畑の作物もどちらも食べ物としか認識していない。

左脳は世界にあるものに名前や記号をつけて操作する。その操作手順を書いたものが言葉だ。例えば「りんごを100円で買った」という文があったとする。この文は、現実世界にあるりんごを所有権世界で操作した内容を記述したものだ。さらに過去形とすることで時間という抽象概念も表現している。これができるのが左脳だ。買うとか過去という概念は意味だ。意味を持った言葉を扱えるのが左脳だ。

では、右脳が扱うのは何か。それは目や耳で直接感じるものだ。それは美しい景色や踊りたくなる音楽だ。それらは操作するものではなく、感じるものだ。モフモフした動物の感触や蛇柄の感触といった感覚を扱うのが右脳だ。右脳と左脳は全く異なる情報処理をしていることがよく分かる。

さて、ここでAIについて考えてみる。今のAIは大量のデータからパターンを学習する。これは右脳の処理だ。だから画像や音楽には向いている。しかし、言葉はどうか。言葉は左脳の担当だ。ところが今のAIは言葉も画像と同じやり方で処理している。それが大規模言語モデル(LLM)だ。大量の文字データを学習して、単語の並びのパターンを学習している。だからLLMは意味を理解していない。この単語の並びのパターンなら次はこの単語が出現するだろうと、パターンから予測しているだけだ。音楽を聴いて次の音を予測するのと同じやり方で文を生成している。

言葉の本質は文字ではない。言葉の本質は頭の中にある概念だ。概念を現実世界で扱えるように記号化したのが言葉だ。概念というのは意味だ。意味を無視して記号の部分だけを学習しても意味がない。よくChatGPTは言葉の意味を理解していないと言われるが、こういうことだ。これでは人間と同じとは言えない。次世代AIは人間の脳と同じように考える汎用人工知能(AGI)と言われている。そのためには右脳と左脳の処理の中身を理解し、それぞれの方法で情報処理をする必要がある。しかし、今のAI業界はこのことにまだ気づいていない。

最近のテーマは右脳と左脳である。ずっと考えた結果、右脳と左脳の具体的な処理の違いはかなり理解できてきた。ただ、まだ不明なのは、なぜ左脳にだけ意識が宿るのかという点である。「意識って左脳にしか宿らないの?」という疑問が出てくると思うが、もちろん根拠はある。それは、第463回で取り上げた分離脳患者の実験である。分離脳患者とは、左右の脳をつなげる脳梁を切断した人のことで、重度のてんかんの治療で行われることがある。

この分離脳患者に対して、右脳と左脳に別々に質問するという実験が行われた。やり方としては、右の視界は左脳が担当し、左の視界は右脳が担当するため、左右のスクリーンに画像を映すことで、左脳または右脳だけに情報を渡すことができる。例えば、右のスクリーンに鍵の絵を映して左脳だけに鍵を見せることができる。そして、「何を見ましたか?」と質問すると、鍵と答える。次に、見たものを手で触って選んでもらう。右手は左脳が担当するので、右手で選んでもらうと、ちゃんと鍵を選ぶことができる。これで左脳は目で見て質問に答え、手で選ぶことができることが確認できた。

次にこれを逆にして、右脳に鍵の絵を見せて、「何か見えましたか?」と質問すると、「一瞬ピカッと光っただけで何も見えなかった」と答える。そこで、「当てずっぽでいいので左手で見たものを選んでください」と言うと、ちゃんと鍵を選ぶ。どうして分かったのかと聞くと、「触った時にあれ?と思った」と答える。今、質問に対して「見える」とか「見えない」と答えていたのは左脳である。つまり左脳は自分が何を知っているか認識している。これが意識である。一方、右脳は見えたかどうか答えられないが、見たものを選ぶことはできた。右脳にあるのは手で触った時に「あれ?」と感じるだけである。ここから意識は左脳に宿ると言えそうである。

別の実験も紹介する。被験者の好きなバナナの絵を右脳だけに見せ、「何が見えましたか?」と質問しても「何も見えませんでした」と答える。しかし、「好きか嫌いか、今の気持ちを答えてください」と質問すると、「好きです」と答える。何を見たか認識できないが、好きか嫌いかは答えられる。つまり、右脳は感じることはできるが、何を見たか自覚できない。自覚するのは意識であり、右脳は自覚できないので右脳には意識は存在しない。つまり、意識は左脳のみに宿る。そしてこの意識がどうやって生まれるのか、それが今回のテーマである。

前回、第464回では、右脳の処理はニューラルネットワークと同じだという話をした。例えば、「これは犬っぽさを学習したニューラルネットワークである」「これはヘビ柄っぽさを学習したニューラルネットワークである」「これはニョロニョロっぽさを学習したニューラルネットワークである」など。これらのニューラルネットワークが反応して、「これはヘビだ」と感じる。そんな風に感じるのは右脳である。

ニューラルネットワークは大量の画像データから特徴パターンを学習する。パターンというのは、似たような画像があった場合、その共通点を抜き出したものである。例えば、三つのリンゴを見たとする。三つのボールも見たとする。これらから共通点を抜き出して示すとこうなる。「これが三である」「漢字だとこうである」「ローマ数字だとこうである」。何かが三つあることを示しているわけである。これは言ってみれば見たものの形を変形したわけである。しかし、数字の三の意味となると少し違う。数字は足したり引いたりできる。足し算引き算ならリンゴやボールでも表現できるが、例えば√3となったらリンゴやボールで表現できない。数字の三が存在するのは、足し算や引き算、累乗、平方根などが定義される数学世界である。この数学世界にある三が三の意味である。これは例えば三個のリンゴから三という概念を取り出したわけである。ニューラルネットワークや右脳が行っているのは、形の変形である。一方、左脳の処理は抽象的な概念を抽出する処理であり、それは意味を取り出す処理とも言える。

別の例を紹介する。これは脳梁を切断した分離脳患者ではなく、脳卒中で脳梁が損傷した人に筆算の計算をしてもらったものである。右手で計算したものと左手で計算したもので比較すると、右手での計算は正確にできているが、左手での計算はめちゃくちゃである。ここから計算は左脳の処理であることがわかる。紙に書いた数字は現実世界に存在する。左脳は数字の意味を取り出して計算するが、右脳は計算できない。右脳ができるのは見た目だけである。この人は左手だと「6」が書けてしまうと言っている。確かに左手にはやたらと「6」が出てくる。見た目の数字を書くのが右脳である。そして、ぱっと見た目にきれいに書いているのが右脳の処理である。

普段は右脳と左脳が協力して働いているが、脳梁が分担されたり損傷すると右脳と左脳が別々に働くようになる。このことを端的に示す症状がエイリアンハンドである。エイリアンハンドは、自分の意思とは関係なく手が勝手に動く症状である。例えば、ケースから薬を取り出して飲もうとすると、左手でケースの蓋を開けたかと思ったら、壁に投げつける。また、左手は右手にもケースを叩き落とす。床に散らばった薬を右手で集めると、左手がまた散らかす。これがエイリアンハンドである。

エイリアンハンドが起こるのも脳梁が損傷した場合である。自分の思い通りに動かないのは左手であり、右脳が制御している。今、「自分」と言ったが、この自分が意識である。自分である意識が体を動かす。意識は左脳に宿る。

左手が蓋を壁に投げつけ、薬のケースを床に叩き落とし、右手で集めた薬を散らかす。右脳が制御する左手は自分の意識に逆らって動いているように見える。では、右脳は本当に自分に逆らっているのか?右脳の処理から考えると別の見方が見えてくる。右脳の処理はパターンの学習であり、右脳は物を投げるというパターンを学習している。物を持った時、右脳はこのパターンを思い出す。普通は右脳が投げることを思い出しても、全体を制御する左脳が不要と判断したら抑制するので、投げることはない。しかし、右脳と左脳が分離していると、思い出した右脳がそのまま行動して投げつけてしまう。物を手に持っているのを見ると、それを叩き落とすというパターンを思い出して実行する。集まっているものを見ると、それを散らかしてしまう。

エイリアンハンドがなぜ起こるのかが分かってきた。では、左脳はなぜ体を制御できるのだろうか?左脳も勝手に動いてもいいはずだが、なぜ左脳は好き勝手に動かないのだろうか?好き勝手に動かないというのは、何らかの目的があってそれに従って行動することである。目的に沿って行動するように制御しているのが左脳、つまり意識である。

左脳の処理は抽象化である。左脳は現実世界にあるものを抽象化して意味や概念として扱う。例えば、海辺に住む人が魚をたくさん取ったとする。これを山に行って木の実と交換してもらおうと考えたとする。このように考えられるためには、まず取った魚は自分のものであるという概念を理解できなければならない。これが所有権である。所有権という概念は、現実に存在する自分の魚から、自分の持ち物という概念を抽出したものである。この抽出処理をするのが左脳であり、抽象的な概念を扱うのが左脳である。

数学世界には計算や所有権世界には交換といった操作が存在する。操作するには操作する主体が必要であり、左脳は操作する主体という概念も生み出した。それが自分である。つまり、自分というのは左脳が生み出した抽象概念であり、現実世界に存在する肉体から抽出した概念である。抽出した概念とは、そのものの意味とも言える。

左脳は現実世界にあるものとそのものの意味をセットで認識する仕組みを持っている。例えば、「3」は現実世界で紙に書かれる記号であり、「3」の意味が数字としての「3」である。自分も同じである。現実世界の体とその概念としての自分とセットで認識する。この概念としての自分のことを心とか意識と呼ぶ。または自我や魂と呼んでもいい。いろんな呼び方があるが、重要なのは現実世界にあるものをそこから抽出した概念とセットで認識する機能が左脳にあるということだ。

ここに来て哲学の問題が一つ解消された。それは心身問題である。心と体は別だと考えるのが心身二元論である。それに対して心は存在しなくて、あるのは脳という物質だけだと考えるのが一元論である。一元論は言ってみれば現実の物理世界だけしか認めない立場である。それに対して物理世界以外の抽象世界、例えば数学世界や所有権世界を含めた世界を認めると二元論が成立する。

二元論と言っても、魂を認めるということではなく、数字や所有権、お金など物理世界にない概念を認めるということだ。これが科学に含まれるかどうかは議論の余地があるが、少なくとも左脳はそのような抽象概念を扱う。他にもいろんな抽象概念がある。例えば時間であり、時間の中に自分という概念を位置づけると、生まれてから死ぬまで続く自分というものを想定できる。これがまさに自分である。

どこの小学校に行って、どこの中学校に行ったという記憶が自分を作り出す。記憶や思い出は目の前に現実として存在しない。現実世界というのは目で見て手で触れるものだが、記憶や思い出の中の世界は抽象世界である。抽象世界を扱える左脳が自分を生み出し、自分を感じる。体を制御して行動するのも自分であり、取った魚と木の実を交換しようと目標を考えるのも自分である。目標に向かって行動するのも自分だ。これが左脳が生み出した意識である。

目標といっても、長期的視点を持つとか、生まれてから死ぬまで続く自分といった抽象的な概念を扱えるのも左脳である。右脳はそうはいかない。右脳ができるのは現実世界のデータの変形であり、データをどれだけ変形しても現実世界に属する。右脳が感じるのは現実世界に今存在するデータだけであり、取りうる行動は今ふと思いついた行動だけだ。長期的視点を持っていないため、死ぬまで続く自分という概念など知り得ない。だから右脳には自分や意識は生まれないのだ。

左脳は現実に存在するものから抽象的な意味や概念を抽出する機能を獲得した。この機能を獲得した時点で、現実の肉体から本質的な意味を取り出すことは必然となった。それが意識である。これが左脳にしか意識が宿らない理由である。


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