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光一元の原理 ~ "光と闇" ではない件


神楽の先生からこの世界に対する視座を習う
そして世界がシンプルになり
そして…実践には心の筋トレも要るの巻


先生は仰る。

良い悪いは、ない。
単純に白か黒か~もない。
敵も味方もないんやで。

見る方向、考えるスパンが違うと、同じことでも意味が違ごてくる、と。


店頭入口でよく考えてしまうのですが、
感染防止のため消毒をするか、しないか。
ジャブジャブにスプレーを吹くと安心できる人。
あるいは、
常在菌まで消すと逆に自己免疫機能を下げると考える人。

菌はないほうが良いに決まってるじゃん!と、思うか
菌を無くすことはできないのだから、
ほどほどに釣り合いを取って共存したほうが早く収束するじゃん!
と思うかのちがいでしょう。

じゃあ、身体の中では? 県単位では? 

そもそも地球レベルで考えると
人間が居ない方が地球はきれいになるんじゃないの?(!)
と思えてきたり。

清潔すぎるのが原因か、余計な毒が原因か分かりませんが
たしかに『先進国』でのアレルギー率と『新興国』のそれは違う
というのが事実ならば、清潔ファシズムをやめて
お腹に蟲の一匹でも飼っておいたほうが良いのか、とも。
アレルギーに苦しむ方にはお叱りをうけるかもしれませんが。

どの目線で見るか。長い目で見たらどうか。
視座を変えて見てはどうか。
一見厄介な菌やウイルスや自然災害も、
『人間のつごうで整えすぎましたね』『ちょいとリセットしますよ』
という事なのかも。

空中に水分が溜まりある一定の条件をこえれば
揺り戻す方向へのエネルギーが自然にはたらき
雨が降ります。

砂糖でも塩でも、お米でも、
精製しすぎたものは毒になる。
適度に自然な状態のほうが体には優しいらしい。

ここでいつも戸惑うことは

どの程度、『整える』のがよいか??? ということ。
極端に走っても長続きしませんでしたし。
美味しくなかったり高価すぎたり面倒くさかったりして。

どの程度?? は、何度も何度もやってみて、
自分が心地よい地点を見つけるしかない。

筋トレのように続けて続けて
心が楽になるポイントを探す
という地道な作業も必要なんだなぁ、と。

『悪いこと』『悪いひと』にもお役目があり
敵ではなく、
『敵の姿をして、整える事に一役かっている』存在。

見るのも触れるのも嫌で、
一刻も早く排除したくなりますが、
そこから学ぶこともある。
とてもそうは思えない気がしてましたけど。

例えば、治安が良くない町の抗争をやめさせたいと思っても
悪い奴ら目がけマシンガンをぶっ放して、
もめていた警察官もろとも37564にはしませんよね。
手っ取り早い解決法には、
長いスパンでの視点が欠けているかもしれない。

といあえず今目障りなもの、憎たらしくて堪らないもの、
そこばっかりに意識が行きすぎると辛くなって
37564にもしたくなる。

言うは易く行うは難し、の古神道バージョン…
黒く見えるのものも光や!ということを忘れない。
黒く見えるかもしれんけど、光をあんまり反射せえへんだけや。

一寸先は闇ちがうねん。
一寸先は光ばっかり。w

何回もくりかえし聞いたけど、
闇だ!敵だ!悪だ!
と毛嫌いしてしまう自分がいるのです。

でも、それに気がつくようになったから、
ちょっとだけ嬉しい。


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