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その窓の向こう、本当に存在しますか?

全てがどうにもならない時。
つまりやり方がわからない、自分の生きてきた人生に前例がないモノにぶち当たった時、、、なのか?たった20年生きてきただけの僕だが小説や映画、ゲームを通して色々な人生を体験した。その多くは僕と同じ世界を生きる人間の想像力によって創造されたもの。現実では発生し得ない事件。
もしくは誰かが実際に経験した事、見たこと、感じた事、そう言ったものを言語化したものである。

じゃあそれってもう人間なのでは?そいつはそいつで独立して生きているんじゃ?
もしくはその創造物丸ごとがその世界はその世界として機能していたとしたら?
観るのと自分が実際に経験することの違いはなに?寧ろ人の創ったモノを見たり読んだり感じたりしたら創った人やその創作物そのものの人生とそれを見たり読んだり感じたりする自分とで一遍に2つの人生をできてお得なんじゃない?

全てが嫌になった僕はなにもしたくなくて、けれども今までの経験上なにか「人生を進めている感」がないとどうしようもない焦燥感に追いつかれてしまう。それがたまらなく不快でいったん今は色々なことを考える時間だ。と部屋からでない理由を自覚があるのかないのか後付けしたんだ。でも本当は知ってる。僕が今考えた「想像と創造」の話だってとっくにいろんな人が似たような事を思い、気分によって否定したり肯定したり通り過ぎて今日の晩御飯に思いを馳せたりしてきたのだ。
生産性なんて一切ない。それでも僕は焦燥感から逃れるために必死に考える。
今はそんな2023年5月26日の午前0時。一言でいうならくだらない1日ってやつだ。
なんとなくPS4を起動した。起動音が埃をかぶっている本体に同調しているような、そんな気怠い音がする。駄目だ。全然楽しくない。相変わらず考えてるポーズを取っている僕の脳みそはゲームに集中してくれない。
僕のせいでゲームの中の男は何度も何度も敵に殺される。


次第にいじけた僕は、今はやる気がないだけだ!と操作を放棄する。
棒立ちの男。何度も殺される。
ふと僕に恐ろしい想像がしがみつく。もしかしたらほんとは僕もこの男と同じなのかもしれない。どうにもやる気が起きない。やりたい事はあるはずなのにやるべきことを掴めない。そんな今の自分はもしや僕を操作している奴がそのコントローラーを放置しているばっかりにどれだけ良い方向に向かいたくともこうして部屋で焦燥感を恐れ、かといってなにをするでもなくただここに居るという状態が継続しているんじゃないだろうか。あるのかないのかわからない。見えない自分の外側、あるいは内側。システム。プログラム。
それが堪らなく恐ろしくなった僕はどうにか抜け出したくなってこれを書いている。これを書いて発信することによってこの見えざる、存在の曖昧なモノから抜け出そうとしている。簡単だ。そのモノは自分が創る側になってしまえばそれを観測している、そしてそもそも創ったのが自分だという圧倒的事実により僕は僕であれるのだ。このモノを恐れる今日の僕を文章に閉じ込めて次の場面に進んでしまえばいいって話である。助かった。逃げ切った。

ところでこれをもし誰か読んでくれたならこれを読んでいる自分を書いて欲しい。そしたらこの文章の中の世界の僕達は繋がるんじゃないかって思う。ん?
それっぽく締めようとしてる途中で気付いちゃった。
あ、だめだわこれ。
逃げ切れてなんてなかった。

最初に戻った。


終わり。

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