素面-06(小説)

 そこへ注文の熱燗とモツ煮が届く。朗らかな店主の声にほっとしてから、綾下は自分が緊張と苛立ちを感じていたのだと気が付いた。いいタイミングだ。店主夫婦のほかは斉藤の飛びつきそうな若い女性は働いていないから、どうかこの店には通えるようであってほしい。苦々しく思う綾下を知ってか知らずか――知っていたらこんな事態にはなっていないのだが、斉藤は小鉢を二つ受け取ってほくほくとしている。
「うお、美味そ」
(ああその顔はいいな)
 そう、咄嗟に綾下は思った。思っているうち、斉藤が二つのお猪口へ勝手に酒を注いでいる。今日はスタートから出来上がって泣くやら嘆くやら、最後に会ったのが件の元カノと居合わせたときだから、素直に喜んだ表情は二か月ぶりに見た。あのでれでれとした、だらしのない頬をカウントしないなら更に遡る。二人は学生時代からの付き合いで同じ会社に新卒入社、四月一日の入社式で会ったときには顔を見合わせて噴き出したものだが、近頃は同じビルにいるわりにフロアをまたぐこともない。斉藤はほとんどデスクにおらず顧客先をあちこち走り回っているし、綾下は綾下で社内の端から端まで電話を掛け、出てこない資料の締切を各所に説きまくっている。
 それでも、以前なら綾下が営業部へ手ずから、資料の作り直しを要求にも行ったものだが。机のかたまり一つ分の責を肩書きに負わされてからは、営業含む3階フロアへの用向きはほとんど部下へ任せていた。もともと、斉藤はデスクにいないから偶然の装いようもなかったけれど。

(続く)

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