素面-02(小説)

 指定した店に着くと、ワイシャツの袖をたくし上げた男が座敷でジョッキを煽っている。綾下は軽く溜め息を吐きながらコートとジャケットを脱いで、近くの鴨居に引っ掛けてあったハンガーへ着せた。隣には同じように、斉藤のチャコールグレーの上着と洒落たトレンチコートが掛けてある。店員から受け取ったおしぼりが、冷えた指先にじんわりと温かい。
「またか」
「うるせ。またとか言うな」
「今度はなんだ、『こんなに仕事人間だと思わなかった』?」
「今度も、だよ」
「またとか言うなってお前が言ったんだろ」
「ホントに嫌みなヤツだよおまえ」
 綾下はハハ、と笑いながら届いたばかりの自分のジョッキを斉藤のソレにぶつけてやる。かつん、とガラス同士が軽い音を立てた。かろうじて、先に置いてあった方の中身は半分ほど残っているが、おそらくこれが一杯目じゃあないだろう。
「すぐ分かったか?」
「うん?」
「場所。ここ、ちょっと入り口が見つけにくいだろ」
「あー、綾下の好きそうな店構えって思って探したら分かったわ」
 おまえこういう隠れ家っぽい立地のとこ好きだよなあ。言いながら、斉藤はぐるりと店内を見回したから、なんとか綾下は手に取ったつきだしの小皿を落とさずに済んだ。
 雑居ビルの並んだ奥の路地に、カウンターのほかは座敷の個室が二つのこじんまりした店構え、全体的に木目調の目立つ内装は上品ながらもどことなくほっとする雰囲気がある。確かに綾下は表通りに面した店より、知る人ぞ知るを探して選ぶことが多い。こと、斉藤との不定期の会合においてはその傾向が顕著だった。
「すぐには分かんなくて五、六分かな、そこらへんでウロウロしたけどさ」
「はは。遅くなって悪い」
 また部長の無茶ぶりでさ、と続ければ斉藤は綾下に向き直って枝豆へ手を伸ばす。その頃には綾下も元の表情のままだったから、へんにぎくりとしたのをまさか、気付かれやしない。

(続く)
※2話目公開に合わせて1話目を修正しました。

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