桜のしべが見つめている-05(小説)

 ひどいじゃないか勝手にいなくなって、と非難轟々だった。発言者は一人だったし、口も一つしか付いていないのだけれど、目ばかり二十も三十もあったら轟々は轟々なのだった。ユウコは回り道しなかった自分を呪った。前日のあれやこれやは悪い夢だと思いたかったのが半分、どうして得体の知れないモノのためにこっちが道を変えなくちゃいけないんだと思ったのが半分で、昨日と変わらない時間帯に変わらない道を通り掛かると、ソレは同じ樹の幹にもたれかかって口笛なんか吹いていた。
 小学校の校庭はぐるりとフェンスで囲まれて、背の低い柵とはいっても、大人の胸元くらいまで高さがある。件の十分咲きの木々はどれもフェンスの内側に植えられ、敷地の真ん中から校舎、校庭、樹木の並び、フェンスの順で外側へといった具合だ。とっくに義務教育課程を終えたユウコが通るのは小学校の敷地のすぐ外だから、昨日と変わらないソレの姿を、ところどころ錆び付いたフェンスの向こうに見つけた。
 背格好は背の高めの小学生、首から下だけは今の子どもたちの集合写真に混ぜてもすっかり溶け込むだろう。けれど頭らしき箇所、人間の頭蓋骨に皮膚を張り付けた形の上には、無数の目玉がついている。その一つ一つが個別の意識を持っているみたいにぎょろりぎょろりと、ユウコを見たり、上を見たり、下を見たり、蟻の行列を追いかけたり、あさっての方向を眺めたり。
 一晩経っても、あまり見慣れるものではないらしくて、ユウコは気味悪がる気持ちが口や目の端に表れ出ないようにと努めた。できるだけ直視しないようにもした。
「目を逸らすのはきみの言う『失礼』には当たらないの」
 ソレはとん、とつま先で地面を踏むと二歩、三歩ほどフェンス越しのユウコへ近付いた。昨日は気付かなかったけれど、足先はスニーカーで覆われている。黒字に青とシルバーでラインの入った、履くと早く走れる、なんて文句で日曜の朝にテレビCMを流しているやつだ。
「あ。いいだろう、これ。流行してるんだって」
「買えるんですか?」
「どうやら二日前にはちゃあんと、五年三組の武藤くんの下駄箱に収まっていたのだけどね」
 ソレはひょいと片足を上げた。自慢げに、つま先から靴の裏の装飾を見せてくる。
「裏庭のごみ捨て場に転がっていたから、ちょっと拝借してみたんだ。もちろん裏庭に転がしたのはぼくじゃないよ、これは、ぼくと井上くんだけが知ってることだけれど」
「……はあ」
「井上くんも今日には涙目でこの靴を探してた。同じ場所に転がっているはずなんだけどね、ぼくが借りちゃってるから」
 おかしいよねえ、とソレは笑っている。ユウコは色んな言葉が喉まで出掛かったのをぐうっと堪えた。スニーカーから視線を外すとどうしても目と目が合ってしまい、一つの目から逃げるとまた別の目がユウコを見ていて、かといって目をつむるのも怖いからなるべく、焦点を合わさないようにした。
「そんなに多いかしら」
「多いです」
 何が、とも言われていないのに即答した。またやってしまった。得体の知れないものと話なんかしたくないのに。せめて目さえ、こうでなければ、これほど怖くはないんだろう。一か所を見続けるのだけでも止めようと思って、ユウコは瞬きの度に右を見たり、左を見たりを繰り返した。
「そうは言ってもねえ。昨日も話したかなあ、きみにはそう見えるんだねってコトなんだよ、これは」
 見る人が見れば絶世の美女なのになあ、とソレは大仰にがっかりしてみせる。溜め息だけは悩まし気な妙齢の女さながらで、ユウコは肩甲骨のあたりにぞわぞわと走るものを感じた。

(続く)

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