桜のしべが見つめている-01(小説)

 ユウコは、満開の桜を貴ぶ風潮がなぜだか昔から、さほど好きではなかった。今も大して好きではない。嫌いではないが、好ましくもない。より正確には、ユウコは『満開の』桜を好まなかった。花の繊細で薄く透けるようで、曇り空を背景とするとまるで花弁さえ灰色に見える感じだとか、他方、幹や枝の、なりふり構わず冬の寒さをしのいで来たのであろうごつごつした質感だとか、相反する要素がひとつの樹や一帯の景色として合わさったときの妖艶さだとか、総じて、在りようとしてはすきなのだ。植物の種として、季節の象徴として、美しいものとして、好ましいとは感じていた。

 ところが満開、これ以上もこれ以下もない十分咲き、となると話は別だ。なんともいえず、気味の悪さを覚えるのだった。コンビニへの行きがけに、ファミレスからの帰りに、ふと仰ぎ見る、近所の小学校のグラウンドを囲んだソメイヨシノに、毎年この時期は決まって眉をひそめている。

 しべの根元の、花弁の色のわずかに濃いあたりが、文様のような、目玉のような気配で、じっとこちらを見つめている。それも見渡す限りすべての花という花がそっくり同じ具合なものだから、ユウコはいつも堪らなくなって、すぐに、さっと目を背けるのだ。最初から見上げなければいいとは、ユウコ自身も、都度、思う。懲りずに視線を持って行かれてしまうから、タチが悪い。今日の空に薄紅色の花はどんな姿をさらすのだろうと思って、それが未だつぼみの目立つ五分咲きであったり、あるいは二、三分ほどを散らせ始めたころであったりすると、ひどくほっとするのだ。満開よりよほど、美しいと感じる。

 東風の強く、砂の舞う中でわざわざ飲食をする催しが、自身の好まざるところなのを差し引いても、やっぱりどうしてか、咲き始めか、終わり始めが、ユウコをずっと安心させたし、素直に春を喜ばせるものだった。


(のんびり続くつもりです)

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