桜のしべが見つめている-02(小説)

 自宅近くの小学校の校庭を、ぐるりと囲むように、ソメイヨシノは植えられていた。フェンス越しの学校の敷地内にあって、その桜は、まるで遊歩道のために植えられたようで、さながら並木道だった。ユウコが家から出かけるのにも、どこからか家へと帰るのにも、どうしたって遊歩道を通るのが近道で、目のようなしべの視線を不気味に感じながらも、花の盛りの頃でもやはりユウコは同じルートを通った。
 ひとつ、ひとつの花やつぼみは決して濃い色をしていないのに、ぎゅう、と集まると確かに、白と呼ぶには紅色に近いものがあるのだから不思議だ。足もとに、すっかり花の形を残したまま落ちていたソメイヨシノをひとふさ見付けては、拾い上げて、まじまじと見て、なんとも言い難い気持ちを得る。こうして見ても、おそろしいとは感じないのに。
 それでも仰ぎ見た先の枝に、群生するがごとき桜しべの視線をみとめると、薄ら寒さを覚える。それから、拾い上げた花を、ぽいと元の通りに落としてしまう。それでいいのだ。手元に残そうなんて、考えるだけいけないことだと、ユウコはぼんやり思っていた。いくら人工的に植えられ増やされたといったって、花は花だし、人は人だ。それ以上には交わるべくもない。
 だからソレを見たとき、ユウコは心臓が急に冷却でもされたような心地がした。
 宵の迫る夕空を背景に、桜の下へ、およそ『人とは思えない』人影がある。空に向かって広く伸びた枝の陰になるところ、幹に寄りかかるようにして、ソレは佇んでいる。ユウコはトートバックの左の肩紐をずるりと肘のあたりまで落として、慌てて肩へと掛け直した。今日からの講義資料がずしりと重い、教科書の著者と同じ名前の教授に悪態も吐きたくなる。
「こんにちは」
 あろうことか、ソレは声を掛けてきた。
 ユウコはだらだらと首元にいやな汗を掻きながら、笑い掛けられているのが自分ではない可能性に考えを巡らして、一瞬で棄却する。母校の校庭脇を突っ切ってそのまま住宅街へ至るルートにたまたまの通りかかりなどいない。小中学生が遊ぶにはすでに、少し遅い夕の頃。犬の散歩でもなければ、通りかかるのは、実家に帰るのがどことなく億劫で学友と講義後にだらだら喋って悪足掻きをした帰りの大学生くらいだ。すなわちわ、ユウコ一人である。
「ん、間違えたかな。声を出すなんて三十九年ぶりで……ああ、もしかしてこんばんは、が正しいのか? こんばんは」
 ユウコはなるべく見えていないフリを装おうとした。そこには何もない、何もいない、何も聞こえても見てもいない、自分は、母校の校舎をぼうっと眺めて帰るだけの通行人だと思いたい。
 そんなユウコのひたむきな努力を知ってか知らずか、ソレはさらに首を――眼球らしきものが無数に埋め込んである箇所を頭や顔と呼ぶならだけど――かしげて、ユウコの視界に入り込んできた。
「最近の言葉は勉強したつもりなんだけど、おかしいな。もうすこし流行を覚えないと仲間に入れてもらえないってやつかしら、ここに通う子たちがよくやってるね」
「むやみに……返事をするのは、連れていかれるから良くないって」
「おや」
「今日の授業で言ってた気が、する……なあ」
「ああ、あくまでひとりごとの体を装うんだね。賢明な子みたいだ」
 ソレの声はずいぶんと柔らかくて穏やかで、少年のようにも淑女のようにも聞こえたけれど、背丈は発育の良い小学生というところだった。だけれど、妙に言葉じりには老成したような、達観したような、たとえば『人よりずっと長く生きている何か』がいたならばこんな感じかしら、とユウコが思うような凄みが滲んでいた。
「でも、本当に賢い子なら何も見なかったことにして立ち去るかな。ここらは、ほら学校だから、子供が多いだろう。黙っていても僕に気付いてしまう子がたまにいる。でも、大抵は目だって合わさない。僕が自分とは違うって、ちゃあんと区別できるんだろうね。きみはどう? ちょっと窺う感じだと、区別はついてるようだけど」
「見るからに違いますけど」
「見るからに?」
 つい返答してしまったことに気付いて、ユウコは慌ててあさっての方向を見た。内心、怖くてたまらなくて手指がふるふる震えている。足の指をパンプスの中で、ぎゅう、と握ったり開いたりして必死に振動をどこかへ逃がそうと努める。
 ソレは何が気に入ったのか、気になったのか、じっとユウコの顔を見ているようだった。無数の視線がじりじりと、そらした顔の側面へ突き刺さる。春先とはいえ夕暮れ時は冷え込んで、薄手のカーディガンには少しつらい風が裾から、首元から、ユウコの皮膚を撫でていった。寒いのか寒気なのか分からない。
「ねえ、見るからにってどういうこと?」
「み、るからに、は見るからに」
「きみには一体、僕が何に見えてるっていうのさ」
「だから! そんなに目がいっぱいあるのに、合わせない方法があるなら知りたいくらいで」
「えっ」
 あんまり素っ頓狂な声で驚くものだから、ユウコは思わず顔をソレへ向けてしまった。そうして、やっぱりその人間の子どもみたいな体つきの上に、乗っかっている頭にやたらめったら目が多いのを確かめて、また、さっと視線だけ外側に投げ捨てた。
「もしかして、きみには、僕の目が三つか四つか付いているように見えるのかい」
「そんなもんじゃ済まないでしょ。ええ……と十五か、二十くらいあるのかな、数えるのも失礼かなと思って、ていうか自分の目の数くらい把握してないんですか」
「ああ。だって僕がそんなふうに見えるというのはきみが初めてだもの」
「はっ?」
 今度はユウコが驚く番だった。
「大抵は美少年か、妖艶な美女か、はたまた殺人鬼なんて言われたこともあったけど。目の多い妖怪と言われたのは初めてだ。きみにはそんな風に見えてるんだね」
 ソレはふっと口元をゆるめると(おどろくべきことに、口は人間と変わらない場所に変わらない数で付いていた)、自分が寄りかかる桜の大木を仰ぎ見た。
 どうやら今すぐ取って食われたりはしないらしい。ユウコはわずかに安堵した。それから、ソレの無数の目の付いた顔でも、照れたように染めている頬が分かるのはなんでなんだろう、と自分の認識を気味悪く思った。

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(のんびりとしていたら冬になりました。毎日少しずつ何かしらの更新をするつもりです、小説かもしれないしエッセイかもしれないし日記かもしれない)

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