素面-01(小説)

 使い慣れたスマートフォンをタップして、メッセージアプリを経由し、まずはURLを送り付けてやる。それから「良い店を見つけたから来週どうだ」と一言添えると、大抵はすぐに既読のマークが付いて、返事はない。斉藤は営業成績優秀な若手のホープらしくて、こと取引先へのレスポンスは迅速的確丁寧と評判だが、その分、プライベートじゃ返事不精として綾下の中では有名だった。
 受信メッセージを見るだけは見て、送信元が十年来の付き合いの同窓生と分かるや否や、返信は後回し。それでも友達が減ったなんて話は聞かないから、相手を選んでやっていることなんだろう。
(俺は選ばれた人間というわけだ)
 斉藤の、返事を延ばして構わない枠の一人として。綾下はこの点に関して、もはや吐く溜め息の持ち合わせもない。
 別段、返事がなければ綾下は一人飲みにシフトするだけだ。提案したのは、先週にもふらりと一人で訪れたばかりの店である。綾下は送信後のスマホをジャケットの胸元へすとんと戻し、七階のオフィスフロアの窓から、飲み屋街の方面をなんとなく眺める。奥まった路地に入り口を潜るとカウンターのほかにテーブルが二席、こじんまりした趣きのある店構えの小料理屋だった。自慢だというモツ煮で頂く、こだわりの日本酒が実にいい。
「綾下さん」
「おう。今から休憩か?」
「はい……すんませんすぐ戻るんで」
「いいって、きっかり一時間休め。俺もあと五分は戻らん」
「はは、んじゃそうします。お疲れ様っす」
 エレベーターホールへ向かう部下の慌ただしい足音を見送り、綾下は午後の眠気覚ましに、突き当たりの自販機で缶コーヒーを煽る。大きなガラス窓から眺める街並みは穏やかな小春日和だ。執務室を上へ下への繁忙期なんてどこ吹く風、年の瀬ってのは世間が思うよりもずっと速く長く走っているもので、昼ぐらいは休まなきゃやっていられない。最後の一分まできっちりと休むのが、名刺に肩書きが付き始めてからも、綾下の変わらぬ主義だ。
 コーヒーの缶を空にしたところで、さて残りの五分がどこまで減ったかと思って胸ポケットからスマホを取り出す。同時にぶるりと手の中で震えたのを最初、綾下は錯覚かと思って、画面をまじまじと見た。
『今週でもいい。今日でどうよ』
 すみやかにロックを解除して返事を打ち込む。
『今日は無理だ。せめて明日にしろ』
 それだけ送って、また画面をロックし直すと同じポケットへ戻す。綾下は空き缶をゴミ箱へ放り込んだのち、オフィスの入り口にカードキーをかざして戦場へ舞い戻った。唯一静かな廊下に、去り際、バイブ音が再度響いたが終業まで通知の中身は確かめなかった。どうせ了承の旨のスタンプ一つだと思ったからだ。
「またフラれやがって」
 小さく悪態を吐いても、年の瀬の総務課は喧騒けたたましく紛れて消えた。

(続く)

2020.1.3 修正しました

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