居たい(エッセイ)

 当時、遅くまで仕事をしていた父が帰宅するまでの間が、学生だった私にとって自由にパソコンを使える時間だった。父親の端末を使うことについて、叱られはしなかったが、何に使っていたんだと問われるのは嫌で、父が帰宅するのと同時に大慌てで電源を落とすのが常だった。母親は家にいる人だったが、いうなればITオンチで、家電製品は扱えてもパソコンやインターネットはからっきしだった。検索履歴と閲覧履歴の消し方さえ覚えてしまえば、私の秘密は私のみぞ知る秘密として守られた。親に見られて困るようなものを見ていたかといえば、……まったくなかったわけではないと思うが、ともかく、私は自分が何を見、何を聴いているのかを、親に知られるのを厭う子どもだった。仮にそれが、親の勧めてきた本や映画だったとしても、だ。自分がどんな顔で齧り付き、どんな場面でどんな声を上げるのかを親に知られるのは、家族旅行の折に同級生と会うような気恥ずかしさがあった。おまけに、私は言い訳や逃げがきっと上手な子どもだったので、自分の秘密を守るための方法を駆使して、親と同級生が鉢合わせないように立ち回ることができたのだ。

 私が見ていたのはその頃、さかんにサービスの幅を広げていた動画サイトだった。初めは物珍しさだったか、誰かに教わったのだったか、ともかく手当たり次第に目を引くものを再生していた。やがて自分が興味を魅かれる分野、魅かれない分野というのがわかってきて、動画に付されたタグから検索していくことを覚えた。自作の曲を投稿する人たちの存在を知るまで、そんなに時間は要さなかったと思う。中でも私が熱心に聞くようになったのは、作詞と作曲の上で、その歌を音声ソフトに歌唱させた動画だった。私はついぞ、自分が投稿を行う側に回ることはなかったが、動画サービスが充実するに連れ、投稿者の音声ソフトの扱いも卓越していくのが見て取れ、もとい、聴いて取れた。

 何人かの投稿者の曲を気に入って、私は毎日のように動画サイトへアクセスし、新曲の投稿がないものかと確認するようになる。曲調が気に入ったものもあれば、自作だというPVが美しいもの、世界観が面白いものもあった。音声ソフトの使い方にもさまざまあったようだが、大別すると、人間の肉声を指向したものと、そうではないもの――機械的な音声ならではの曲を目指すものとに、分かれるように感じられた。わたしは『そうではないもの』に、特に魅かれた。

 ちょうどその頃、学校の現代文の授業で、読解問題の教材に掲載されていた評論がある。もはや私はその評論の題名も、著者も、詳細もなにも覚えてはいない。文意と、当時の教科担当の解釈と講釈が、おそらく記憶の中で入り混じっている。その上で私の覚えている趣旨は、『ある程度は一般化されていないと受け手は己を重ねられない』というものであった。よく、名だたる文豪の手書き原稿などが公開されているが、あれはそもそも書き手の、血の通った生々しさに過ぎる。すこし生ぐさいと言ってもいい。その意味で、活字は書き手から離れてやや一般化されたものであり、受け手の側としても飲み込みやすいのだと。ぼんやりとでも覚えているのは、私がそのとき、あるいはそののち、この趣旨にそれなりに納得と実感を獲得したからなのだろう。

 肉声に近いことを第一義としない音声ソフトの歌い方、歌わせ方、を私が好んだのはおそらく、それが活字に近かったからであった。

 私というのは親と同級生を鉢合わせにしたくないような学生で、かつ、それができるような学生であった。学校での自分は学校の人間にだけ、自宅での自分は自宅の人間にだけ晒し、それ以外には晒したくないというのが本心であった。自分の秘密は自分だけのものとしたい。自分のすべてを知っているのは自分だけでありたい。ありきたりな学生の面倒を抱えた私に、生々しく伸びやかな肉声で、甘やかな恋心なんかを語りかけてくるものは、鬱陶しかったのである。

 人間の声とは違う響きで以て、PCのスピーカーから流れてくる旋律は、私にかえって寄り添ってくれる気がした。厳密には、私が、勝手に、寄り添われていると考えたのだ。言い換えれば、自分を勝手に重ね合わせるのにあたって、生々しさの薄さが都合よかった。だけれどそれは私をずいぶんと掬い上げてくれたと思う。いまとなっては、当時の私の心境を、生々しく思い出すことは私にはできないが、きっと私はある種の機械的な音声にこそ自分と同調する何かを見出して、聴きい出して安堵していた。

 思えば、その曲を作っていたどこかの誰かが、それをよしとしていたかどうか分からない。その人はその人で、肉声に近い音声を作りたかったかもしれないと思う。あるいは、肉声ならば肉声で、別にやりたいことがあったかもしれない。私が勝手に喜んで、私が勝手に私を重ねていた、それだけである。そしてそれはどこにでもいる学生の、どこにでも転がっている、平凡な感慨である。

 今日の私は自分の端末を得て、自分の端末から自分の好む情報へアクセスすることができる。どきどきとしながら後ろを振り返って、母親が画面を覗き込んでいないことや、父親が帰宅していないことを確かめながら、慣れない手付きで検索を繰り返すこともない。動画コンテンツは、時間の消費がどうにも大きくて、しばらく手を付けていない。私は新しいコンテンツに流されて影響されていく性質だったから、いつからか、あのときの曲たちを聴かなくなって久しいし、聴かなくなった切欠らしきものも思い出せない。

 あの日の曲は色褪せないという。ありきたりだが、私もそう思う。あの時の、自分だけが世の中で特別な存在だと思いたくて、思えなくて、誰も分かってくれないけれど誰にも分かってほしくなく、どこかに居たいけれどどこにも居たくない私に、これ以上ないほど寄り添ってくれた機械的な音声に代わるものはなかった。願わくば、ああ最近は聴いていないなあ、と思う勝手な身の上でありたかった。思い返すとどこかが痛い。

 もう、新曲は望めないのだそうだ。その知らせを聞いた私は、勝手に、どこにも居られない気持ちを得ている。




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