見出し画像

ふたりには若すぎた街

マッチングアプリで知り合った女性と下北沢のカフェで待合わせる。自分のこととは思えない展開だった。「後ろです」スマホ画面に表示されたメッセージとほぼ同時に顔をのぞき込まれた。私は現認された。

人付き合いは「狭く深く」タイプの私にとって、知らない女の人とデートをすることは気が進まない。連絡先を聞いて日程を調整する。こんな教科書に載っていない内容をみんなはどこで学習してきたのか。しかし、友人がことあるごとに心配し話題にあげるため「俺でもやればできる」「明日から本気出す!」と思わず息巻いてしまった。

アプリに登録して、たくさんの「いいね!」を送って、メッセージのやり取りをして。すごく手間がかかる。少しでも良く思われたい。「いいね!」が欲しい。写真をスクロールするごとに伝わってくる訴えに虚しさを感じた。キラキラした写真は長時間見ていられない。だが、友達と次に会う時は「手ぶらでは行くまい」という使命感が、私を衝き動かす。そして、実際に会うことになった。

挨拶もそこそこに席につく。仕事の話、休日の過ごし方、家族のこと。ありがちな内容で会話は進んでいく。「次は何を話そう」と好きな食べ物の話をしているあたりで考えた。考えたのが悪かった。何も思いつかない。沈黙の中でむさぼるサラダ。まるっきり草食男子だ。目的の無い会話が苦手だったことを再認識する。

本当の無から絞り出されたのは「このドレッシング、酸っぱすぎる」という酷い食レポ。「酸っぱくしなきゃ、こんな草は食べられないでしょ」と彼女は笑顔で拾ってくれた。このやさしさが痛い。恋愛の重要性を説く友人達の思いやりと同じ種類の痛み。自分にとっては異質だけれど、嬉しい痛みでもある。切ないとはこういうことか。

カフェを後にして、街ブラなんて発想もない私はなんとなく駅を目指す。蛍光色や体操着みたいな服が並ぶ古着屋。おしゃれなカップル達が手をつないで歩いている。ぎこちない距離感の二人にとって下北沢は少し若すぎる街だった。別れ際、「今日は気が利かなくてすみませんでした」と反省を口にした時、返された言葉が忘れられない。「謝らないでください。『ありがとう』と言ってくれるほうが嬉しいです」

やさしさをやさしさとして受け止めること。好意に痛み入る場合もあるが、日常ではそう多くない。それならば、できるだけ「すみません」ではなく「ありがとう」で返していきたい。実在するか不安だった女性との出会いは、私にそう思わせてくれた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?