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『もう一度旅に出る前に』02農業のこと文・写真 仁科勝介(かつお)

じりっと暑くなってきた。深い緑と、水を張った田んぼが目に浮かぶ。田植えが終わったばかりの水田は、中四国や九州地方を思い出す。暮らしていた、またはこの時期に訪れた場所がそうだったからで、頭に浮かぶ景色が、いつかほかの地域にも広がるといいなあと思う。別に景色が浮かんでもお金にはならないし、面白いネタにもならない。でも、こういう景色は出力せずとも心にインプットされているだけで、何かあったときに、助けてもらえるような気がする。心が。

今年に入って農業を始めた。というより、手伝わせてもらっている。最近は久しぶりに会う方がいると、農業のことを聞かれることが増えた。大したことは全然していない、できていないと思いつつ、ちょっぴり嬉しい。

農業と旅は、ぼくの中では関係している。市町村一周の旅で決定的な体験があったわけではないが、目に入る景色は田んぼや畑が圧倒的に多かった。それを“田舎”という表現でまとめることは簡単だけれど、そうじゃないんだよな、という、頭だけではなく、眼で見た印象が残像として残っていて、モヤモヤしていた。国を支えているのは社会や政治かもしれないが、国土そのものを支えているのは、土に触れている人たちじゃないか、ということは、眼で見たものたちが積み重なって感じていた。「農業は大事だ」といろんな視点で言うことはできる。ぼくにとってはそれが旅だった。

農作業は近畿まで通っている。毎度、横浜駅から3列シートの夜行バスに乗って、翌朝5時ごろ京都駅に着いて、電車で移動して、1日農作業して、寝て、もう1日農作業して、夜行バスに乗って帰る。横浜駅の夜行バスの案内人はだいたい同じ細身のお兄さんで、並んでくださーいと言われて列になってバス停まで歩くときは、夜の遠足みたいだ。バスの快眠のコツは乗車時に後ろの座席の方にきちっとご挨拶をすることで、申し訳ない気持ちを忘れず、そして元気さも忘れずに、「座席、下げてもいいですか!」と聞く。そのときのリアクションが良かったら成功なので、しっかり座席を下げても心が休まる。しかし、途中休憩で静岡か愛知のパーキングエリアに降りて体を回すとボキボキボキボキと音が鳴る。とまあ、運転手さん、いつも安全運転でありがとうございます。

宿泊、移動、食事は実費だ。バイトじゃないし、最初からお金はかかるぞと覚悟していたから、そういう意味ではお金を払って、農業をしているかも知れない。でも今やっておかなければ、来年は旅に出るつもりだったから、土に触れられないと思っていた。旅先で、農家の方に出会って、農地を見せてもらって、ほほうと相槌を打つのは間違ってはいないけれど、少しだけ違うんだよなあと思っていた。感心する前に、農業が大切だと思っているのなら、先にどこかで、せめてワンシーズン、体験しておきたかった。なぜ近畿なのかと言えば、いちばん頼みやすい人の住まいがそこだったからだ。ちいさな農業法人で、初めてお会いした方も合わせて数人の方にお世話になっているけれど、突然の申し出をみなさん受け入れてくださって、通わせてもらっている。

ぼくは農家ではない。専門的な知識はまるで足りない。月に一度しか通っていないわけだから、日数なんて足りないってもんじゃあない。だから、感じられることを、たくさん感じる。それを、一生懸命にやる。冬の朝に畑で履く長靴は冷たさでつま先の感覚を失うことも、野菜が大きくなりすぎたら出荷できないことも、作業服がどれだけ汚れても同じにしか感じられないことも、分かるようで、ぜんぶ今まで感じたことのなかったことだから。

前回の農作業は田植えだった。すでに大きな田んぼは諸先輩方が機械で植えていて、手で植えるところを1日かけてやった。ちゃぽん、と水田に入るときの“田んぼ足袋”の音が、やわらかかった。それから何度も足を取られてこけそうになった。太い束になっている苗を数本にちぎって植えるとき、これがあの豊かな稲になるのかと驚いた。アメンボがたくさん泳いでいた。綺麗な緑色のアマガエルを指差した。手植えの早い人はぼくの倍速だった。しんどい、終わらんなあとみんな言った。人が多いとあっという間やなあとみんな言った。口に入れて噛めば数秒で消えてしまうお米の赤ちゃんたちと、日々の時間を過ごすこと。このお米粒はどういう味がするのだろう。それが分かる日まで、まだまだ汗をかく。








仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。

HP|https://katsusukenishina.com

Twitter/Instagram @katsuo247



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