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『旧市町村日誌』16 夏のお祭りたち・写真 仁科勝介(かつお)


8/1(火)晴れ

初めて十和田湖と奥入瀬渓流へ。青森県の湖は恐山の宇曽利湖のイメージが強かったから、ようやく更新された。深い緑と青の世界、小さく波立つ湖畔、木々のざわめき……。いい景色に出会えた。奥入瀬渓流も、湿原の川の流れとは違うし、渓谷とも違う。渓流なのだ。柔らかで、しなやかで、深い。素晴らしい場所だったなあ。そして、明日は長岡に行く。新青森駅でチケットも無事に取れた。あとは青森まで無事に、帰って来られるだろうか。

 

8/2(水)晴れ

 この日は青森から新潟の長岡へ移動する。今日からねぶた祭りが始まったというのに、青森を抜け出すというのもちょっと間抜けな気がする。でも、長岡の花火大会に行くということだけは、ずっと前から決めていたから。移動の起点が偶然、青森だったという話なわけで。

 長岡で働いている高校の後輩と、後輩が所属していた吹奏楽団の団長夫婦、そして後輩のお父さんというメンバーに混ぜてもらった。全員がそれぞれ初対面だったけれど、みなさんとても気持ちの良い方だった。

 信濃川の河川敷に着いたときに見た景色は、いったい何万人がここに集まっているのだろうと思わせる、圧倒的な人の数だった。巨大なステージと化した河川敷で、一緒に花火を見る仲間としての意識も芽生えた。そして、花火が上がってからは、写真には収められない輝きと轟音が夜空を切り裂いた。誰が見ても、息を呑む景色があるというのか。かつて人々が脈々と繋いできたこの宝物が、この先を生きる子どもたちに受け継がれていくことを、願ってやまない。

 

8/3(木)晴れと曇り

19時になると、ピストルの号砲がパーン! と鳴り、会場が一斉に沸いた。誰もが、「はじまった」と直感した。間髪入れず、ねぶたのリズムが鳴り始めた。すごい迫力だ。ラッセラーの声は、喉から出るのではない。青森の大地が生み出すものだ。

 青森の短い夏を、地元の人たちは知っている。だからこそ、短い夏に、エネルギーを枯れるまで出し切る。人間にも四季がある。

 夜のねぶたも、この市街地を歩くからこそ良いのだ。ねぶたの展示を見たことはあるけれど、それは冬眠している状態に近いかもしれない。生身の人間が動かしてこそ、ねぶたは生命を宿す。花火とは違う輝きであり、そして、花火もねぶたも、魂に火を灯す輝きを持っていた。

 

8/4(金)晴れ

午前中に三内丸山遺跡と青森県立美術館へ訪れた。何より棟方志功展は素晴らしかった。

 夜は五所川原の立佞武多(たちねぷた)を見に行った。小さいながらもハイカラな市街地に、高さ20mを超える大型ねぷたが登場したとき、異世界の極地だった。また、掛け声もリズムも青森ねぶたと全然違う。ねぶたと言っても、ひとくくりにはできない深さがある。周辺地域のお祭りがどうなのかということよりも、自分たちのお祭りが一番なのだ。

 夜、ネットカフェが空いてなくて、旅120日目にして初めて野宿した。邪魔にならない、交通量の少ない河川敷で、テントもないので、ひたすらにそのまま芝に寝転んだ。見上げると北斗七星が見えた。深夜2時ごろ、人の声がして、盗難だろうかと思い目が覚めた。コンタクトを外していたのでよく見えなかったが、どうやら数人で線香花火をしているようだった。彼らがいつ帰ったのかは、わからない。

 

8/5(土)晴れ

朝、日の出と共に目が覚めることは、体の関係性によるものだ。だから、5時ごろには太陽が山の上まで来ていて、その光がいつも以上に眩しく見えた。そのあと早朝から開いている温泉に行って、汗でドロドロだったので救われる思いだった。

 夕方から夜にかけて、弘前市のねぷたを見に行った。青森市、五所川原市とは、やはり異なっている。弘前ねぷたは山車の形が扇型だ。そして、やはりリズムも掛け声も、違っていた。「やーやどー!」とゆっくり相手のレスポンスを待つスタイル。弘前駅前を通るルートだったが、広々とした道路も閉鎖され、とても賑わった。祭りの誇りをたくさん見た。青森三大ねぶたとそれぞれ出会えるなんて、どれだけ幸せなことだろう。



仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年4月から旧市町村一周の旅に出る。

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