第1回『マギンティ夫人は死んだ』のミント(文・北野佐久子)
文・写真 北野佐久子
ロンドンからそれほど遠くはないブローディニーというある村でマギンティという女性が殺害されました。
被害者は64歳の未亡人。あちこちの家庭で雑用、主に掃除の仕事をして暮らしていました。借家に住む彼女はベントリーという間借り人を置いていたのですが、殺害の容疑者として逮捕されたのがこの男です。
状況証拠からベントリーに死刑判決が下されたものの、事件を担当しているスペンス警視は長年の経験からどうしても彼が犯人だということに納得がいきません。
「もし無実だったら……?」
そんな思いから、スペンス警視はポアロのところへ再調査の依頼に行きます。
おいしそうな食事がなかなか登場しないこの作品。
ポアロ自身が、事件の捜査のために滞在したサマーヘイズ家で料理下手な奥さんの食事に辟易します。
どのような食事かというと……
お世辞にもおいしそうとは言えない料理が続きます。
殺されたマギンティ夫人を発見した、隣家に住むミセス・エリオットは、殺される前日に裏庭でミントの葉を摘もうとしていたマギンティ夫人を見たと証言します。
マギンティ夫人はミントの葉を何に使ったのでしょうか?
イギリスでのミントの日常使いを経験した私としては、ラム肉のローストのミントソースを作る、またはジャガイモかグリンピースをゆでようとしていたのではないかと想像できます。
イギリスの家庭ではラム肉を焼いたらミントを摘みにいく――私がハーブ留学と称してイギリスで過ごした日々の初日も、滞在先のクック家で庭に育つミントの葉を摘んでくるように言われました。
ミントソースと呼ばれるものはローマ人によってイギリスに伝えられたといわれるほど、歴史の古いものですが、作り方はとても簡単。
刻んだミントの葉に砂糖を混ぜ、熱湯を少量加えて溶かしたところに酢を加えればできあがり。まるで「蓼酢」のような、緑色のさらさらとした状態のものになります。
ただし、フランス人は酢が効いたこのソースを、“ワインの味を台無しにする”として、イギリス人の味覚を大いに軽蔑しているようですが……。
また、イギリスでは新ジャガイモやグリーンピースをゆでるときにも鍋にひと枝のミントを入れるのが定番。さわやかなミントの風味が下味として、目には見えないけれど、すっきりとした味わいに料理を整える隠し味になるのです。スーパーマーケットではグリンピースのパックにミントのひと枝が添えられて売られているのを見かけることがありますが、そこにはこうした家庭の知恵が隠されているのです。
数あるミントのなかでも料理によく使われるのがスペアミントです。“ガーデンミント”とも呼ばれ、庭に植えて生活に広く使われる品種として知られていますが、“ピーミント”“ラムミント”との呼び名があるのは、グリンピースをゆでるときの隠し味や、ラム肉のローストのソースに使われる品種であることを物語っています。
マギンティ夫人が裏庭に育てていたのもこの品種のミントだったかもしれません。地下茎で、困るほどにどんどん増えるミントは、キッチンガーデンや裏庭などで栽培されることがイギリスでは多く見られるようです。
そのほかにも、マギンティ夫人の事件を相談するためポアロを訪ねたスペンス警視に、ポアロがすすめるドリンクとしてミントのリキュール――クレーム・ド・マント(ペパーミント入りのリキュール)が登場しています。
130種のハーブで香りをつけたシャルトルーズ、ベネディクティン同様、こちらはミント、特にペパーミントが主成分です。いずれのリキュールも消化を促し、気分を良くするために広く飲まれた時代があり、古くから盛んに作られてきました。ペパーミントはウォーターミントとスペアミントとの交配種で、薬効に富む品種として知られ、ピリッとした清涼感が特徴です。
北野佐久子(きたの・さくこ)
東京都出身。立教大学英米文学科卒。在学中から児童文学とハーブに関心を持ち、日本人初の英国ハーブソサエティーの会員となり、研究のため渡英。結婚後は、4年間をウィンブルドンで過ごす。児童文学、ハーブ、お菓子などを中心にイギリス文化を紹介している。英国ハーブソサエティー終身会員、ビアトリクス・ポター・ソサエティー会員。
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