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『旧市町村日誌』4 文・写真 仁科勝介(かつお)

5/7(日)雨

 

今日は雨。屋根のあるところで休んでいる。明日も午前中は雨予報なので、合わせて2日間休むことにした。先週から雨が6日間降っていなかったわけだけれど、この前は温泉で地元のおじいちゃん同士が、「畑がカラカラだよ」なんて会話をしていたので、ゴールデンウィーク中の雨だけれど、必要な雨だと思う。

 

昨日は横浜市を巡っていたが、再びエンジンが止まった。きちんと押しがけをすれば再び走ってくれるので、まだ大丈夫ではあるけれど、不安材料であることに変わりはない。東京のバイク屋さんをいくつか調べて、良いと思うところに問い合わせをした。今週中には見てもらえることになったので、それまで無理をせずに旅を進めて、カブの様子を見てもらい、状態が良くなることを願う。まだまだ、旅は序盤だから焦らずに。修理に出していたレンズも見積もりが届いて、そのままお願いすることにした。

 

5/9(火)晴れ

 

雨で2日間休むと、次の日に旅を再開するのが、若干億劫になる。会社員とまったく同じ症状かもしれない。

 

あと、今日は横浜市の区を5つ巡って、それで精一杯だった。前回も4つの区を巡って1日が終わったので、ペースとしては、これぐらいが妥当なのだろうか。まだ完全にはツボを押さえていないけれど、1日に巡るまちの数は5から7の幅がベストかもしれない。7より多く巡ることは今回はやめた方がいいかな、と感じるぐらいだ。そして、たとえ5未満でも、それをよしとする勇気が必要な気がしている。

 

旅をしっかりと進めたい、と思う心の根っこには、働いて収入を得ている人たちに対して、ぼくのように旅をしている立場の人間が、のらりくらりとやっている姿を見せることが恥ずかしい、という気持ちが少なからずある。だから、こっちはこっちのベストを尽くしている、と見てもらうことで、旅とはいえ、「コイツがんばってんな」と、自由さの中にあるしぶとさみたいなものを、感じてもらえる方がいいな、と最初は思っていた。それに、旅をどんどん進めるのは、怖いからだ。進めないと、この旅は終わらない。少しでも早く、たくさん回りたい気持ちが心の片隅にあって、それが旅の内容を濃くしてくれるなら良いが、薄くなってしまうようでは本末転倒である。自由な旅なら、ほんとうの自由な旅ができなくてどうする?  わかっている。ペースを落とすことが怖いって。でも、その怖さから逃げちゃいけないんじゃないか。自問自答している。

 

5/10

 今日巡ったまちの数は、5つ。今は友人に教えてもらった、野毛のJAZZ喫茶にいる。16時半、お客さんは総じて一人ずつ席に座り、音楽を聴き入っている。ああ、ようやく、旅をしている気がした。もちろん、今まで経てきた1ヶ月の時間も旅である。だが、まちを巡りきることにとにかく精一杯で、旅とは言いながら、自由さがあるのかわからなくなっていた。それが今、真横から颯爽と流れるJAZZのリズムが、耳から全身の細胞へ届き、何かをかき立てる。旅とは、この音楽を聴くような、余白のことではないか? 目を閉じて、現実を離れて、JAZZを聴く。これは立派な旅ではないか‥‥。

 

だから、あらためて思う。もう少し旅のペースを落とすべきだ。確かにそれは怖い。1日に巡るペースが、たとえば7つから5つに減れば、最低でも見積もって、1ヶ月に巡るまちの数は40ほど減る。それが3ヶ月続けば120。半年続けば240。だから、半年後に訪れるまちが240増える。それはとても怖い。その分、毎日お金もかかる。

 

しかし、それが何だ? このままでは自分が、中途半端な世捨て人に思えてくる。すべてを捨てることのできない弱気な人。26歳にもなるのに、社会的な生活からはみ出して、日本を巡っている自分を、隠すのではなくて、もっと自分で認めようよ。毎日、いろいろなことを考える。なぜ、自分は今この旅をしているのか。果たして、それは誰かの役に立つのか。大事な今の年齢を、一旦捨てて、ほんとうに良いのか。旅が終わったら、仕事はあるのか。そのとき、お金はあるのか。だったら、どうしてこの旅を続けるのか。

 

けれど、前回の市町村一周の旅が終わったときから、薄々勘づいていたのだから。おそらく、「もう一度旅をやるのだろうな」と。それは、前回の旅を経て、わずかに感じていた心残りへの、後始末を自分でつけるためであった。せめて、日本の土地を巡ったと自分で納得したいのならば、「現市町村だけではダメだ」と、自分の中ではわかっていたから。せめて、たった四半世紀前にはまだ存在していた日本のまちの姿を探さなければ、納得できないと。半ば、義務的な衝動であり、この旅が終わらなければ、スタートラインに立てないという感覚。今は、そのための時間だ。旅先では毎日、目の前で自分とは関わりのない人々があたりまえに暮らしている。知らない顔が次々と現れては消えていく。この世は日本ですら、自分の知らない世界によってすべてが成り立っている、そう言い切っても良いのではないかと毎日思わされる。旅は、自分の存在をどんどん大きくさせるのではなく、ますます小さくさせる。

 

さて、とにかく、自分は真に自分の旅をすることで、後始末をつけることだ。



仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年4月から旧市町村一周の旅に出る。

HP|https://katsusukenishina.com
Twitter/Instagram @katsuo247

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