『旧市町村日誌』 48 祭りを思い返す 文・写真 仁科勝介(かつお)
この一週間、休養を挟まずに進んでいきました。もう少しがんばれたら、一旦休みの時期にも入りそうなので、もう少しがんばろうと思います。毎日出会う情報量が非常に多くて、頭の中がいっぱいです。
1年前の今頃、ビッグなお祭りにいくつか参加していました。ひとつは長岡花火。そして、もうひとつはねぶた祭り。ねぶたは、青森市、五所川原市、弘前市と、三大ねぶたの地をそれぞれお祭り期間に訪れることができました。
それで、思い返すわけです。去年訪れたお祭りの雰囲気を。
とにかく、とにかく、ものすごい熱気でした。長岡花火はものすごい花火だったけれど、そこに集まる人の熱量にも圧倒され、ねぶたも地元の方々が誇りを持ち、自分たちの短い夏を全力で熱く楽しむ! という熱気で溢れていました。
そのときその場所にいると、周りの土地のことなんてまったく気にならず、今ここにある瞬間に身を捧げたくなります。動画を撮ったり写真を撮ったりするにせよ、それでは伝わらない空気感というものが、絶対にある。
そして、今年は現段階になりますが、こうしたビッグなお祭りたちに参加しないまま、過ごしています。どういう気持ちになるのだろう、と自分なりに試してみたかった気持ちもありました。
すると、訪れた土地でお祭りがなければ、別に何もない日常が流れていて、自分もいたって普通に過ごすわけです。長岡花火はライブ配信もあったけれど、何より空気感は現地にいなきゃわからないんだよなあと思いましたし、ねぶたも同じで、魂にスイッチが入るようなリズムや、大型巨人みたいに見上げるねぷたや、はつらつした掛け声、直接感じたあの感覚は、やはりどうしても、その土地にいないとしっくりこないのだよなあと。
だから今、あの土地では、ものすごい歓声や、熱気で包まれているはずだ、と思いはするけれど、目の前で流れている時間が静かなら、その感覚よりも静けさがまさってしまう。
つまり、人間というものは、土地に応化する生き物なのだなと。もちろん時代にも応化している。だいたいは無意識だけれど、一年前と今を比較して、そういう生き物ものだとつくづく思いました。
ビッグなお祭りを例に挙げましたが、兵庫県を巡っていて、出会ったお祭りのポスターはほんとうにたくさんあります。特にお盆の時期は、大小を問わず、どれだけあちこちの土地で、お祭りがあるのだろうと思うぐらいです。
それを全国に広げて考えてみたら、一生ではまったく巡りきれないでしょう。だから、同じ日本とはいえ、無数の土地の時間を持つこの国は小さいようで広くて、そこに豊かさがあるのだと思います。
仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年4月から旧市町村一周の旅に出る。
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