なんだっていいじゃない、そう思うよ

人は誰しも誰かにとっては何者かであったとしても、また別の誰かにとっては何者でもない、という言葉が、近頃頭の中を駆け回っている。

そもそも、仮にある人から見て私が何者でもなかったとしても、別にそんなことは(良い意味で)どうでもいいとすら思う。
私は世界に私しかいないと同時に、私も世界の一員で、ただの人間だ。誰がなんと言おうと、その事実は変わらない。だから誰かにとって何者かであったところで、あまり意味がないんじゃないかって感じる。世界中どこを探したって、自分と全く同じ人なんていない。たとえ社会に敷かれたレールを走っていたとしても言える。なぜならそれは、「何者かである」定義は人によって様々であるからだ。なので、誰かが決めたその定義なんて全くの無意味なのだ。
それよりも、私が私であり続けられるように、私が私を認められるように、日々努力を注ぐ方が死ぬまでに出来ることの中で、優先順位が高いんじゃないかと思う。


だから(特定の人を指して)君◯◯ぽいね!とか言われることがあったって、それを間に受ける必要なんてないし、嬉しがる必要もない。何者かであることを目指す必要なんてない。なぜなら、みんな既に誰かにとってはそうなっていると思うから。それくらいの認識は持っていたって、きっと過信にはならないだろう。

万が一、私が社会的地位を築き、誰かが定義した何者かになったところで、それは私にとって「幸せ」と呼べるのかわからない。
何者でもない、自由の身だからこそなんだってできるし、自分自身であれるんじゃないか、って誰かが言っていたことの受け売りだけど、本当に私もそう思う。
だって逆に、適当な言葉で定義されたら、きっととらわれて不自由になるし、きっとその時から私は別の誰かに生まれ変わってしまうだろう。

他人から見て賞賛されるべきことをしていなくたって、満員電車で揺られているうちの1人だって、一部屋に羅列されたデスクに座る1人だって、自分の想像の範疇を超えて、ヒーローになっている瞬間があるかもしれない。逆に、世界のスーパースターが、何者でもない瞬間だっていくらでもあるだろう。みんな、何者かであると同時に、何者でもない。私は、私になりたいのだ。

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